「太陽の季節」から「ブランデーグラス」まで、私たちの青春を彩った永遠の大スター、石原裕次郎さん。彼が小樽の海辺に開館を望んだ石原裕次郎記念館は、ファンにとって特別な聖地でした。1991年の開館から26年間、私たちは彼の愛車や衣装、プライベートな空間を通じて、華やかなスターの裏にある一人の男性の温かい素顔に触れることができました。惜しまれつつも2017年に閉館したあの場所は、今、建物としては存在しません。しかし、彼の功績と小樽への深い愛情、そして私たちファンが共有した熱い想い出は、この街の潮風の中に永遠に息づいています。この記事では、石原裕次郎記念館が私たちに残してくれた青春の宝物を、当時の熱狂と共に振り返ります。彼の愛が詰まった小樽のメモリーを、今一度心に刻みませんか。
裕次郎さんの愛が詰まった場所:記念館のオープンと当時の熱狂
昭和の大スター、石原裕次郎さんが亡くなられてから4年後の1991年7月。
彼の「第二のふるさと」とも呼べる小樽の海辺に、待ち望まれた石原裕次郎記念館が誕生しました。
この場所は単なる資料館ではありませんでした。
それは、裕次郎さんの功績と、彼がファンに残した愛、そして小樽への深い思いが形になった、まさに**「聖地」**そのものだったのです。
開館当初の熱狂ぶりは、今もファンの心に強く焼き付いています。
幼少期を小樽で過ごした裕次郎さんが自ら望んだこの地には、多くのファンが日本全国から、そして海を越えて駆けつけました。
特に、入口でファンを迎えてくれた愛艇「コンテッサⅢ」の姿や、華麗な愛車コレクションの数々は、当時の熱気を象徴しています。
記念館の展示は、ファンが知りたかった裕次郎さんの**「素顔」**に触れる場所でした。
- 1階:俳優・歌手としての華やかな功績。日活時代の貴重な資料や衣装が、銀幕のヒーローとしての輝きを伝えていました。
- 2階:プライベートな一面。愛車コレクションやハワイの別荘を再現した空間は、「裕次郎さんの世界」を訪れたような特別な感覚を与えてくれました。
裕次郎ファンにとって、ここは何度でも足を運びたくなる場所でした。
展示品の数々から、スクリーンやレコードを通してしか知らなかったスターの息遣いや人柄を、肌で感じることができたからです。
海運会社に勤めていた父親の影響で海を愛し、小樽の海辺に自身の記念館を望んだ裕次郎さん。
この石原裕次郎記念館は、彼が昭和という時代に残した偉大な遺産であると同時に、小樽の海への愛情を象徴する**「青春の宝物」**として、多くのファンの心に永遠に刻み込まれているのです。
小樽の潮風とスクリーン:幼少期の記憶と「第二のふるさと」
石原裕次郎記念館がなぜ、数ある候補地の中から小樽の海辺に建てられたのか。
それは、裕次郎さんの人生において、この街が単なる立ち寄り先ではない、特別な意味を持っていたからです。
裕次郎さんは、海運会社に勤務していたお父様の転勤に伴い、3歳から9歳までの幼少期をこの北の港町で過ごしました。
小樽は、裕次郎さんにとって、遊びを覚え、海や雪といった自然と触れ合った**「心のふるさと」**でした。
天狗山でのスキー、稲穂国民学校時代に親しんだ競泳。彼の生涯にわたるタフな精神と、ヨットマンとしての海への深い愛情は、この小樽の潮風の中で培われたと言っても過言ではありません。
記念館の設立は、裕次郎さん自身の**「小樽への深い思い」**を具現化したものでした。
閉館まで約26年間、海に面した絶好のロケーションにあった建物は、まさに彼のヨットマンとしての顔や、海を愛した人柄にふさわしい場所でした。
記念館を訪れるファンは、裕次郎さんの功績を偲ぶだけでなく、彼が見ていたであろう小樽の海を眺め、幼少期の面影を感じ取ることができたのです。
特に、晩年に発表されたヒット曲「俺の小樽」は、この街への尽きることのない愛情を歌い上げています。
彼の人生のハイライトだけでなく、その原点ともいえる幼少期の記憶が、この街と深く結びついていることを、記念館は静かに伝えていました。
建物が解体された今も、愛車「ロールス・ロイス」の一部が小樽市総合博物館に寄贈されるなど、石原裕次郎の足跡は小樽に残されています。
記念館が果たした最大の役割の一つは、大スターの輝かしい功績の裏にあった、一人の少年が故郷として愛した小樽という街の温もりと、海への強い絆を、私たちファンに教えてくれたことかもしれません。
裕次郎さんの精神が息づく小樽の街は、これからも私たちファンにとって、永遠に「第二のふるさと」であり続けるでしょう。

青春の宝物たち:心に残るあの展示品と感動のエピソード
石原裕次郎記念館が多くのファンにとって**「青春の宝物」**だったのは、館内に所蔵されていた約2万点もの貴重な遺品の数々が、私たちの心に残る感動的なシーンをリアルに蘇らせてくれたからです。
閉館から時が経っても、あの展示品一つひとつが持つ輝きは色褪せることがありません。
特にファンを魅了したのは、裕次郎さんの**「素顔」**を垣間見せてくれた展示でした。
俳優・歌手としての日活時代の貴重な衣装や、愛用の小道具、レコードジャケットなどは、まさに銀幕のスーパースターの華やかな魅力を伝えていました。
映画や歌番組で見たあの瞬間を、間近に感じられる喜びは、ファンにとって何物にも代えがたいものでした。
しかし、最も心を捉えたのは、彼のプライベートを再現した空間かもしれません。
- 愛車コレクション:裕次郎さんが愛した豪華な自動車、特に「ロールス・ロイス・シルヴァーシャドウ」や「メルセデス・ベンツ・300SL(ガルウィングクーペ)」など、華麗なコレクションは、彼のスケールの大きさとセンスを物語っていました。
- 別荘の再現:ハワイの別荘を再現したコーナーは、まるで招待されたかのように、スターのオフの姿を想像させてくれました。彼の人生観や遊び心を感じられる、特別な空間でした。
- ヨット「コンテッサⅢ」:小樽の海のそばという立地も相まって、エントランスに飾られたこの愛艇は、ヨットマンとしての裕次郎さんの情熱を象徴していました。
記念館の展示は、単なる資料の羅列ではありませんでした。
それは、裕次郎さんが残した**「裕次郎の世界」**そのものを再現し、訪れたファン一人ひとりが、彼との特別な思い出を再構築できる場所でした。
熱心なファンが何度も足を運んだのは、展示を通して、華やかな功績の裏にあった一人の男性の人間味、その優しさや夢に、再び触れたかったからでしょう。
石原裕次郎記念館は閉館しましたが、私たちファンがそこで見た光景、感じた感動、胸に焼き付いた宝物のような展示品のエピソードは、これからも永遠に語り継がれていくはずです。
涙のラストデイ:閉館に寄せられたファンと石原プロの想い
2017年8月31日、石原裕次郎記念館は26年間の歴史に静かに幕を閉じました。
施設の老朽化や来場者の減少という背景があったものの、この小樽の地にあった裕次郎さんの「聖地」の閉館は、ファンにとって一つの時代の区切りであり、深い悲しみと感謝に満ちた一日となりました。
最終日、記念館には全国から多くのファンが駆けつけ、別れを惜しみました。
長年、裕次郎さんの功績と人柄に触れる喜びを与えてくれた場所への感謝、そしてもうここで彼の遺品に会えなくなる寂しさ。
様々な想いが交錯し、館内は終日、熱気と感動に包まれていました。
この涙のラストデイには、裕次郎さんの妻であるまき子夫人をはじめ、石原プロモーションの関係者の方々も駆けつけました。
彼らは、記念館が長年にわたり果たしてきた役割の大きさを改めて実感し、ファン一人ひとりの想いを胸に受け止めました。
閉館の背景には、石原プロモーションの歴史における一つの節目という意味合いもありました。
裕次郎さんが設立し、自ら経営に尽力したこの組織が運営する記念館の終焉は、「昭和の象徴」的な大スターの遺産を伝える一つの大きな時代の区切りとしても受け止められました。
まき子夫人や、舘ひろしさん、神田正輝さんなど、裕次郎さんの遺志を受け継いだ方々がファンの前に立った姿は、ファンにとっては忘れられない光景です。
彼らが示した温かい配慮と感謝の言葉は、「裕次郎さんの想い出」を大切にしてきたファンに対する、石原プロからの最後の贈り物となりました。
物理的な記念館は姿を消しましたが、ファンがそこで交わした会話、展示品に込めた感動、そして閉館日に流した涙と寄せられた感謝の想いは、石原裕次郎記念館が小樽に残した最も大切な**「熱い想い出」です。
この記憶こそが、私たちファンにとって永遠に輝く青春の宝物**なのです。
永遠に輝くメモリー:記念館はなくなっても小樽に残る裕次郎の足跡
2017年の閉館とともに、石原裕次郎記念館の建物は惜しまれつつ解体され、小樽の海辺からはその姿を消しました。
しかし、私たちファンにとって大切なことは、物理的な建物がなくなったとしても、石原裕次郎さんがこの街に残した功績と、深い愛情の**「メモリー」**が永遠に輝き続けていることです。
記念館が果たした重要な役割の一つは、その貴重な遺品を、閉館後も小樽の地に遺していくための道を作ったことです。
裕次郎さんが愛した品々は、彼の想いを未来に伝える**「昭和の遺産」**として、今も小樽市内で大切に保管・公開されています。
例えば、裕次郎さんの愛車であったロールス・ロイス社のシルバーシャドウは、小樽市に寄贈され、小樽市総合博物館の自動車展示館で公開されています。
裕次郎さんが愛用した豪華な車を前にすれば、当時の華やかなスターのオーラと、彼の趣味人としての素顔を肌で感じることができます。
また、裕次郎さんに関する書籍なども、小樽市図書館に寄贈され、市民やファンがいつでも彼の世界に触れられるようになっています。
さらに、小樽運河の浅草橋街園向かいには、かつて記念館が開設した施設もありました(後に閉館)。
このように、小樽市内には、幼少期を過ごした場所の記憶だけでなく、記念館が存在したことによる「裕次郎の足跡」が深く刻み込まれています。
そして、ファンにとっての喜びは、2021年に開設された**「石原裕次郎オンライン記念館」**です。
物理的な場所はなくなっても、貴重な資料や遺品の数々がデジタルで閲覧可能となり、世界中どこからでも彼の世界に触れることができるようになりました。
石原裕次郎記念館が築いた小樽との絆は、決して途絶えることはありません。
小樽を訪れるたびに、私たちは潮風の中に彼の面影を感じ、街に残された数々の品々を通して、永遠のスターとの再会を果たせるのです。
小樽はこれからも、裕次郎ファンにとっての**「青春の宝物」**を大切に守り続ける街であり続けるでしょう。
まとめ:小樽の海に永遠に響く裕次郎さんの熱い想い
石原裕次郎記念館は26年間、私たちファンにとって、単なる展示施設ではなく、永遠のスターである裕次郎さんの功績と素顔に触れることができる**「聖地」でした。
幼少期を過ごした小樽の潮風が運ぶメッセージと共に、私たちは愛艇「コンテッサⅢ」や豪華な愛車、貴重な衣装といった青春の宝物**に再会し、彼の人間的な魅力と情熱を感じてきました。
2017年8月31日の閉館は、一つの時代の区切りであり、多くのファンが涙とともに別れを告げた日となりました。
しかし、この小樽の海辺で育まれた熱い想い出は、決して消えることはありません。
建物はなくなっても、愛車「ロールス・ロイス」が小樽市総合博物館に遺され、そしてオンライン記念館として彼の世界が未来に引き継がれています。
裕次郎さんが愛したこの街には、今も彼の魂が息づき、私たちファンを温かく迎えてくれます。
石原裕次郎記念館の存在は、私たちにとって永遠に輝くメモリーです。
これからも小樽を訪れ、彼の残した足跡を辿ることが、私たちファンにとって最も大切な**「青春の宝物」**を守り続ける方法なのです。
最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。
石原裕次郎のプロフィール
- 生年月日 1934年(昭和9年)12月28日(金)52歳(没)
- 出身地 兵庫県神戸市須磨区
- 身長 178cm
- 血液型 A型
- 職業 俳優、歌手、司会者、モデル、実業家、ヨットマン、マルチタレント
- 配偶者 石原まき子(北原 三枝)
引用:ウィキペディア






コメント