島倉千代子と細木数子の関係とは!?有名歌手を操った知られざる関係に迫って見た!

昭和の演歌歌手

島倉千代子さんはその類い希なる美声で多くのファンを魅了してきました。しかしその華やかな歌手人生の裏では多額の借金に苦しんだ人生でもあったのです。そこに入ってきた細木数子さんは島倉千代子さんの人生にとって切り離せない存在となって行ったのです。今回はそんな島倉千代子さんと細木数子さんの関係について焦点を当てて調査してみました。是非最後までお読み下さいね。

島倉千代子と細木数子の関係

ある公演で島倉千代子さんはファンの投げたテープが目に当たり失明の危機に遭ってしまいました。

そのときに彼女を治療した眼科医と恋仲になってしまったのです。

そして実印を貸した眼科医が新しいプロダクションを設立して活動を始めたのですが芸能界には全く素人がプロダクションを設立しても上手く行くわけがありません。

そのためこの眼科医は役13億円もの借金を作り蒸発してしまいます。

島倉千代子さんが細木数子さんと知り合ったのはこうして多額の借金の返済に苦労していた時期でした。

この時に借金返済の手助けをしてあげようと島倉千代子さんに近づいたのが細木数子さんでした。

島倉千代子さんがコマ劇場で公演を終えた後に大勢の債権者に取り囲まれ困り果てているときに細木数子さんが駆けつけてその場をしのいだのです。

そして13億円もの借金を細木数子さんの手腕により3億円でチャラにしてしまいます。

こうして島倉千代子さんの債権者は細木数子さんに移ってしまったのでした。

こうなるともう島倉千代子さんは細木数子さんのいいなりにならざるを得ませんでした。

すでに歌謡界のトップスターであった島倉千代子さんでしたが、その後はどんな仕事でも耐え忍んでこなすようになって行ったのです。

地方のキャバレーやクラブで歌うことも増え島倉千代子さんは身を粉にして働いたのです。

そして細木数子さんへの借金は4年で2億円を返済したのです。

細木数子さんはこの時島倉千代子さんに「あと1億円返したら自由にしていい」と言われたのです。

そこで島倉千代子さんは所属事務所の「コロムビア」に泣きつき1億円を貸してもらうことになったのです。

ところが細木数子さんは自身への礼金としてもう1億円を要求したのです。

こうして都合2億円を借りた島倉千代子さんはやっと細木数子さんの借金も返済することが出来たのです。

 

島倉千代子のうぶすぎる性格

島倉千代子さんは歌手として輝かしい歴史を残してこられました。

しかし、その反面また歌手一筋の人生を歩んで来たため、世間の一般常識に疎いと言う面があったことも否めません。

そのため、自身の実印を他人に貸してしまい、それが元で本人の知らないところで多くの保証人になってしまっていたのです。

そのため、多額の負債を負うことになり、その借金の総額はなんと当初は13億円にもなったと言われています。

後に「美空ひばり」さんから「実印というものは他人に簡単にかしてはいけない」という忠告を受けたという話しは有名な語り草となっているほどです。

島倉千代子さんが他人にたやすく実印を貸したり、自分が作った訳でもない他人の借金を肩代わりするようになったいきさつについては島倉千代子さんの性格を知る必要があるでしょう。

これは島倉千代子さんの実弟で一時期は島倉千代子さんが所属する芸能事務所の社長でもあった「島倉征夫」さんの語ったところによると、島倉千代子さんは8人兄弟の6番目で1954年に歌手デビューして芸能界に入った時の年齢は16歳だった。

そのため世間知らずで物事の駆け引きというものを知らない、真っ白過ぎて好きになった人に簡単に染まってしまうところがあった。

島倉征夫さんが言うには「あまりにもうぶすぎた」ということなんですね。

 

島倉千代子借金の始まり

男に惚れてしまったら廻りの景色が見えなくなってしまった。

これが島倉千代子さんの結婚にまつわる話しです。

熱しやすく冷めやすい、そんな性格を島倉千代子さんは併せ持っていたようですね。

島倉千代子さんが結婚したお相手は当時の阪神タイガースの人気選手だった「藤本勝巳(ふじもとかつみ)」内野手でした。

二人の馴れそめは藤本さんがテレビで見た島倉千代子さんのファンになったことでした。

そこで藤本選手が島倉千代子さんに自分はあなたの大ファンであることを告げたのでした。

島倉千代子さんも今をときめくプロ野球の有名選手から電話をもらったことがとても嬉しく、程なく二人の交際が始まったのです。

交際が始まった翌年に島倉千代子さんのお父さんが他界してしまいます。

そしてまだ喪が明けていないにもかかわらず、島倉千代子さんは年内に結婚すると言って聞きませんでした。

これにより、家族と大もめになったのです。

最後にはお母さんが根負けして1000万円の持参金を持たせて二人の結婚を許したのでした。

同年12月に二人は晴れて結婚へと進みます。

しかしこの結婚生活は一週間足らずで島倉千代子さんは醒めてしまったそうです。

その原因として挙げられたのが姑の嫁いびり、そして持たせた持参金はすぐにその預金を解約され藤本選手の借金の返済へと当てられてしまったのです。

お金を預けていた銀行の頭取もまた島倉千代子さんの大ファンであったことから、4000万円を融資するので旦那とは縁を切りなさいと言われたのです。

そのお金を元に離婚を迫った島倉千代子さんに夫はなんともう4000万円出して欲しいとの要求を突きつけたのです。

そのため島倉千代子さんはもう4000万円を借りてようやく離婚は成立しました。

この時にはすでに結婚してから5年の歳月が流れていたのです。

そして島倉千代子さんはこの間に3度妊娠しました。

最初は藤本選手と結婚する前で、その後に二人を妊娠しましたが、持病(C型肝炎)の遺伝を恐れた島倉千代子さんはいずれも出産することはありませんでした。

島倉千代子さんはその3人の子どもを合わせて「忍(しのぶ)」という名前をつけてその名前を刻んだ小さな地蔵を肌身離さず持ち歩いていたのです。

 

島倉千代子細木数子のまとめ

島倉千代子さんはその類い希なる美声で歌謡界で盤石を存在感を示しました。

デビュー以来、数々のヒット曲を連発して15歳から一気にスターダムにのし上がって行ったのです。

しかしその華やかな歌手活動の裏には言いようのない苦労が隠されていたのでした。

世間ズレしていない島倉千代子さんは自分のための借金ではなく、他人のための借金でその人生の大半を返済のために血のにじむ思いの苦労を繰り返して来たのです。

その総額はなんと13億円とも言われているのです。

その間に知り合った細木数子さんとは借金返済にあたり、切っても切れない縁となってしまったのです。

そしてやっと借金を返済し終わった島倉千代子さんはその波瀾万丈の人生を振り返り次のように語っていたのです、

 89年に敬愛するひばりさんが亡くなり、93年には乳がんを告白。スポットライトの陰には、さまざまな苦難があったが、島倉さんは「わが人生、波瀾(はらん)万丈。つらいことがありすぎました。しかし人を恨まないようにしている。憎んで言葉にして愚痴っても、自分の気持ちは救われない。むしろ惨めになる。だから振り返らない。振り返ると遅れちゃう。1歩進めるところが半歩になってしまう」と話していた。

引用:日刊スポーツ

人生経験を重ねた島倉千代子さんは何事もポジティブに捉えるようになっていたのです。

愚痴を言っても始まらない、それよりも明るい未来に向かって全力で取り組んで行くことで自分が救われるとの境地にいたったのでした。

島倉千代子さんが亡くなったあとには4億円以上の現金と多額の有価証券などが残されていたのです。

島倉千代子さん天国で安らかにお過ごし下さいね!

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

島倉千代子のプロフィール

  • 生年月日       1938年(昭和13年)3月30日(水)
  • 死没         2013年11月8日(金)75歳(没)
  • 出身地        東京都品川区
  • 職業         歌手
  • 学歴         日本音楽高等学校(卒)
  • 所属事務所      株式会社「日本コロムビア」

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