島倉千代子の曲の特徴とは?令和の今も多くの人々の心に響くその謎に迫ってみた!

昭和の演歌歌手

75歳で天国に召された島倉千代子さん。彼女にしか表現出来ない哀愁を帯びた歌声、情緒的な多くの歌詞、そして島倉千代子さんならではの歌唱スタイル、彼女のこれまでに残してきた偉業とも言える曲の数々は我々日本人の心に深く刻まれて永遠にそのメロディーが響き続けているのです。今回はそんな島倉千代子さんの曲の特徴を探ってみることにしました。ぜひ最後までお読み下さいね。

島倉千代子の曲の歌詞と人生観

島倉千代子さんの歌う楽曲に使われた歌詞は多くの人々の多くの人生そのものといっても過言ではありません。

恋愛や親子、夫婦の絆などがその時代や現代に至るまでの庶民の心情に寄り添うものがたくさんあって、それが今の時代でも通用する強力なメッセージとなって私達の心に響き続けているのです。

恋愛をテーマにした曲も多くあり、愛する人との別れや叶わぬ恋のせつない気持ちを表した曲「この世の花」などがあります。

同じような曲に「愛のさざなみ」がありますが、これなどは美しく流れるメロディーラインで老若男女を問わず幅広い世代に愛された曲としても有名です。

また夫婦をテーマにした曲ではつましい暮らしではあるが、2人で支え合い、深い絆で結ばれた夫婦を歌った曲「おんなの夢灯り」などがあり、この曲は私の大好きな曲の一つでもあります。

そしてまた子が親に見せる優しい親孝行を歌ったもの「東京だよおっかさん」など、庶民の気持ちを正確に代弁してくれるような曲が多くありました。

特に私が印象に残っているのは、島倉千代子さんが涙を流しながら歌う「東京だよおっかさん」でした。

島倉千代子さん自身がその曲の世界に入り込んでいないと歌えない曲なんですね。

他の人ではおそらく絶対に真似の出来ない曲でしょう。

聞く人の心に深く入り込んでくる歌声、それが島倉千代子さんの最も特徴的な歌い方とも言えるのです。

人生の浮き沈みを歌いながらも前向きなメッセージを庶民目線で伝えてくれるのです。

まさに島倉演歌の真骨頂がここにあるのです。

 

島倉千代子の曲のメロディーライン

島倉千代子さんが歌う曲のメロディーラインは広く演歌や歌謡曲の枠を超越したものがあり、これが男女や年齢の枠に囚われない、幅広い世代に受け入れられる優しい曲なのです。

島倉千代子さんはまた多くのミリオンセラーを生み出している数少ない歌手としても有名です。

特に素晴らしいのは彼女の声そのものの持つ麗(うるわ)しさ、優しさ、親しみやすさにあります。

島倉千代子さんがカバーした曲も数曲ありますが、私はいつも思うのはそれらの曲は元々歌っていた本人よりも素晴らしいと思える曲もたくさんあるのです。

ここで公表するとその持ち歌の本人に失礼にあたるので差し控えますが、皆さんも一度聞いてもらえれば私の言う事にも納得して頂けると思います。

島倉千代子さんの曲がデビュー当時から天国に召されるまでの間をみ見てもお判り頂けるとおもいますが、単なる一時的な流行に留まりません。

今でも多くの人々に愛され親しまれ続けているのはなぜなんでしょう。

それは彼女の曲はいつでも何処でも誰にでも愛され続けていることにあります。

老若男女を問わず、すべての人々に当てはまり、そして時代や場所を越えて変わらずに愛されているのです。

これほど普遍的な庶民に寄り添った曲を持った歌手はまさに島倉千代子さんただ1人で他の追随を許しません。

ここに時代を超えて愛される島倉千代子さんの曲の秘密が私にはあるような気がしてなりません。

 

島倉千代子の曲は永遠不滅

島倉千代子さんはデビュー以来約60年の長きに渡り日本歌謡界において活躍を続けてこられました。

そんな島倉千代子さんの曲が永遠不滅と言われるには理由があります。

その時代を超越した普遍的な魅力、独自の歌唱力、そしてその透き通るような美声、加えて日本人の心の底に響く歌詞の内容があるのです。

島倉千代子さんの楽曲はその美声に合わせるかのように美しい叙情的なメロディーが特徴となり、日本人の感性に響く、深くこだわった旋律を持っているのです。

前述のように島倉千代子さんが歌う「東京だよおっかさん」などはその最たるもので、東京に出て来たお母さんを娘が東京見物に出て皇居を案内するという単純なストーリーになっているのです。

その歌詞とメロディーが絶妙に組み合わさり、当時の聞く人の心に強い郷愁の念を呼び起こす曲となったのです。

当時は中卒で都会に働きに出るのが当たり前の時代だったのです。

そういった若者に自分の心情がとても良く反映された曲となって、自身の経験と重なる部分が多く、人々の心に刺さる曲となっていたのです。

また「人生いろいろ」などは島倉千代子さん自身の人生と重なる部分が多々あることや、人生の浮き沈みを包み込むような深い味わいのある歌詞が特徴となり、多くの人々に受け入れられました。

この曲は現在においても人生の転機や苦労を経験する人々の励ましとなっているほどです。

デビュー当時から現在に至るまでその普遍的な魅力が人々の心を捉えて離さないのです。

これらが島倉千代子さんの楽曲をして「永遠不滅」と言わしめるのでしょう。

 

島倉千代子の略歴

ここで島倉千代子さんの簡単な略歴を紹介しておきましょう。

島倉千代子さんは東京都品川区の出身で両親のとの間に出来た二男四女の四女として誕生しました。

島倉千代子さんが小学校に通うころは大東亜戦争も押し迫り日本は負け戦のまっただ中にあったのです。

そして島倉千代子さんは学童疎開で長野県に疎開しますが、この時に島倉千代子さんにとって忘れることの出来ないアクシデントが起こりました。

それは疎開先で学業の一貫である作業中に水が入った瓶を押し車で運んでいる最中に転倒してしまい、その瓶が割れて自身も47針も縫う大けがをしてしまったのです。

この時の輸血が原因とみられるC型肝炎に感染してしまいます。

島倉千代子さんは結婚後もその肝炎が子どもに遺伝することを恐れ、妊娠はすれども出産することはありませんでした。

1947年、島倉千代子さん9歳のときに疎開先から東京へと戻って来ました。

焼け野原になった東京で流行っていた歌が「リンゴの唄」だったのです。

怪我により気持ちの沈みがちな島倉千代子さんにお母さんはよく「リンゴの唄」を聞かせるようになったのです。

これにより島倉千代子さんは歌うことに大変な興味を持つようになりました。

またお姉さんの敏子さんも歌が大変上手かったのです。

しかしお姉さんは小児麻痺で身体が不自由だったため歌手になることは当時では断念せざるを得ませんでした。

それもあって島倉千代子さんは自分はお姉さんの分も頑張って歌手になると心に誓ったのです。

15歳になった島倉千代子さんは品川区内にある私立の「日本音楽高等学校」に入学します。

そして翌年の「コロムビア全国歌謡コンクール」で見事に優勝。

その翌年16歳の高校在学中に歌手としてデビューします。

この時の曲が大ヒットとなった「この世の花」でした。

これは当時としては驚異的な200万枚を売り上げ島倉千代子さんは一瞬にしてスターダムへと登り詰めて行ったのです。

 

島倉千代子曲のまとめ

昭和を代表する大歌手であった島倉千代子さん。

今回はそんな島倉千代子さんの曲の魅力について調査してみました。

島倉千代子さんの音楽が今でも長く愛され続ける大きな理由はその綺麗な澄んだ歌声、圧倒的な歌唱力と表現力にあります。

そして島倉千代子さんは自身が歌う歌詞についてもその内容を深く深く情感たっぷりに歌い込んで行くのです。

島倉千代子さんの歌には人生の本質的なテーマが含まれているのです。

家族愛、郷愁、恋愛、別離など人生において誰もが経験する出来事が人々の心に深い共感を与えるものとなっているのです。

島倉千代子さんはデビューから結婚、そして離婚、また多額の他人の借金まで背負い込んでしまうという出来事が矢継ぎ早に起きてしまうのです。

そして島倉千代子さんは辛酸を嘗めながらもそれらすべてに打ち勝って来たのです。

まるで歌に合わせるかのように彼女自身も波瀾万丈の人生を送り、多くの困難や苦境を体験して来たのです。

しかし島倉千代子さんはそれらの壁をおのれの力で乗り越えてきました。

そのような経験をすればこそ彼女の曲はこれからも世代を超えて人々の心揺さぶり、心を打ち続けているのです。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

島倉千代子のプロフィール

  • 生年月日       1938年(昭和13年)3月30日(水)
  • 死没         2013年11月8日(金)75歳(没)
  • 出身地        東京都品川区
  • 職業         歌手
  • 学歴         日本音楽高等学校(卒)
  • 所属事務所      株式会社「日本コロムビア」

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