昭和、平成、令和と3代を駆け抜けその美しさの極致を日本人に知らしめた沢田研二さん。そして老いを恐れず、自然な老いを受け入れ体型が変わり、若い頃の面影が無くなってもなおかつ美しい沢田研二さん。今回はそんな沢田研二さんの美しさは一体何処から来るのか、そんな沢田研二さんの美しさの秘密に迫って見たいと思います。
沢田研二なぜ美しい?
「沢田研二さんは美しいのだ!」と言えばおそらく誰もが納得してくれることでしょう。
昭和の芸能界にはハンサムな芸能人がたくさんいらっしゃいます。
加山雄三さん、石原裕次郎さん、高倉健さん、松田優作さん、田村正和さん、三船敏郎さんとまあ数え挙げればキリがありません。
そして沢田研二さん・・・おっとそれは違います。
沢田研二さんはハンサムではありません、実は「美しい」のです!
それに加えて言えるのが、彼はそのルックスだけでなく、カリスマ性、表現力、スタイル、パフォーマンスそしてその生き方まで美しいといわれるのです。
これほどまでに美しい芸能人は私の知る限りでは沢田研二さん只一人といっても過言ではありません。
その日本人離れした端正な顔立ち、透き通ったような瞳、筋の通った鼻筋、端正なフェイスライン、それは女性に用いられる「美貌」という表現が沢田研二さんにもピッタリと当てはまるのです。
ちょっと美辞麗句を並べすぎたようですが、これだけでは終りません。
沢田研二さんはまた男性的な魅力だけでなく中性的な美しさも持ち合わせているのです。
彼の歌う姿にはどことなく中性的で妖艶な雰囲気を醸し出しているます。
ここで沢田研二さんの歌っている姿を思い出して欲しいのです。
「危険なふたり」や「勝手にしやがれ」「渡り鳥はぐれ鳥」などのパフォーマンスは中性的な美しさを持ちあわせています(これだけではありませんが)。
女性はもちろん、男性にさえも愛される唯一無二の存在として今だに芸能界に君臨し続けているのです。
沢田研二の端正な顔立ちと色気
前述した通り、沢田研二さんに感じられるその独特の魅力はやはり、なんと言ってもその顔立ちにあるでしょう。
1960年代後半から登場して来たグループサウンズの代表的存在がザ・タイガースでした。
そしてそのボーカルとして活躍していたのが沢田研二さんなのです。
彼の持つ甘い歌声とその美しマスクでたちまちのうちにトップクラスの人気者になって行きました。
そしてソロとして活動するようになってもその人気は衰えるどころかますます急上昇して行ったのです。
ひとたびコンサートを行えば凄まじい悲鳴が沸き起こり、失神する女性達が後を絶ちません。
人気は絶頂であるにも関わらず、常に刺激を追い求めこれでいいということを知らない沢田研二さん。
昭和の大スターであり当時の老若男女なら誰でも知っているスーパースターの沢田研二さん。
デビュー以来60有余年にわたり活躍を続ける沢田研二さんはその変貌ぶりを取り沙汰されることもあります。
それは変貌ではなく自然な流れに身を任せてきた沢田研二さんの素晴らしい生き方のなせる技なのです。
人間誰しも年輪を重ねて行けばシワの一つや二つは増えて当たり前。
沢田研二さんは変貌したという人がいますが、私には今の顔がすぐにあの若かりし頃の沢田研二にスッと結びついて行くのです。
変貌ではないのです。
若さにすがりつかない自然な「沢田研二」がそこにあるのです、これは実に素晴らしい生き方だと私は思うのです。
沢田研二の圧倒的なカリスマ性
沢田研二さんは多くの女性ファンがいることは周知の事実ですが、またそれに引けを取らないくらいに男性ファンも多いのです。
そしてその中には有名男性芸能人もたくさんいました。
内田裕也さん、阿久悠さん、稲葉浩志さん、福山雅治さんなど数え挙げればキリがないくらいです。
そしてまた多くの有名歌手が沢田研二さんの曲をカバーしているのです。
ASKAさんや斉藤和義さん、稲葉浩志さんなどもそのうちの一人ですがここでは後は省略させて頂きます。
それだけの有名アーティストがカバーしているということは沢田研二さんの曲がいかに多くのアーティストに受け入れられていたかを証明することになります。
沢田研二さんのカリスマ性を証明している映画があります。
それは「土を喰らう十二ヶ月」という映画です。
この映画では沢田研二さん扮する主人公の「ツトム」には彼が執筆する原稿の担当記者である「真知子(松たか子)」という若い恋人がいるのです。
この親子ほど歳のはなれた恋人がいる役をこなせるには年寄りといえど、そこそこの色気がないとつとまりません。
そこでこの映画の監督である中江祐司監督が白羽の矢を立てたのが沢田研二さんなのです。
これがまさにドンピシャだったのです。
そしてまた、沢田研二さんのヒット曲である「危険なふたり」を出す時も最初は別の曲がA面だったのです。
ところが沢田研二さんはどうしてもB面の「危険なふたり」のほうでないと嫌だと言って、とうとう「危険なふたり」の方をA面に持って行ったのでした。
所属事務所もプロデューサーも決定していたにもかかわらずそれを蹴って沢田研二さんは意地を通したのです。
こういうことを押し通せるのも沢田研二さんのカリスマ性のなせる技なのです。
結果この曲は1973年4月に発売されたちまち大ヒットしました。
そしてこの年にソロ初のオリコン1位を獲得、「第4回日本歌謡大賞」を受賞、沢田研二さんの本能がこの曲を選ばせたのでした。
※カリスマ性→人を惹きつける魅力や力のことを指します。カリスマ性のある人は自信やプレゼンス、人当たりの良さなどの特徴を備え持っています。
沢田研二その衣装やメイク
沢田研二さんはそのカリスマ性をもって独自のジャンルを開拓してきましたが、またそのファッションやメイクにおいても時代の先端を走っていました。
そして1973年にオリコンチャート1位を記録した「危険なふたり」が大ヒットし「第4回日本歌謡大賞」を受賞。
その後沢田研二さんはこの「危険なふたり」以降斬新なファッションが確立して行ったのでした。
そしてまた、この曲で沢田研二さんは歌手として1人前になったとの自信を持ったのです。
これはちょっと意外な言葉ですよね、私なんかはとっくに一人前になっていることを自覚していたと思っていましたが、そうじゃなかったのですね。
この曲でオリコン1位、「歌謡大賞」を受賞して始めて一人前を自覚するとはあくまでも謙虚な方なんですね。
これを境に沢田研二さんのコスチュームは一団と派手になっていきます。
そしてこの沢田研二コスチュームを裏から支え担当していたのが早川タケジ(75)さんなのです。
沢田研二さんの懲りに凝った衣装を作成していた早川タケジさんはファッションデザイナーではありませんでした。
もとはイラストレーターを志していたのですが、この人が出演したCMを見たプロデューサーがそこに光るものを見出し、早川さんに声をかけ、沢田研二さんの衣装をお願いしたのです。
これが見事に功を奏し早川タケジさんの才能が開花して行ったのです。
これ以後、沢田研二さんが身にまとう衣装はすべて早川タケジさんが請け負い、衣装だけに留まらず雑誌のグラビア、CMのポスター、ジュリーのビジュアル、演出などそれらのほとんどを早川タケジさんが請け負うことになって行きました。
またジュリーも早川タケジさんには全幅の信頼を寄せていたのです。
沢田研二の歌声の美しさ
沢田研二さんの美しさになんと言ってもその声の美しさがあるのです。
沢田研二さんの声はよく透き通り、深みがあり、それに加えて独特の「艶(つや)」があるのです。
美声の域を超越したなにかしら妖艶で聞く人をその世界に引き込んで行くような魔力を感じてしまうのは私でけでないと思います。
低温の響きから高音域までナチュラルに伸びて行くその声は聞く人を陶酔の世界へと引き込んで行くかのような爽快感に浸ることが出来ます。
そしてその声は決して一本調子ではなく、演歌調からロックンロールまで柔らかく包み込むような優しさ、またそれとは正反対にバラードからロックまで幅広く如何なるジャンルにも通用出来る激しさも持ちあわています。
沢田研二さんはそれらに上手く感情を乗せるのが巧みなのです。
その歌声の一言一言に感情が込められていて、楽曲ごとに異なったドラマを見ることが出来ます。
彼の声はもって生れた力強さ、迫力、優しさ、哀愁、色気・・・があり、日本語の持つ響きを最大限に表現できる素晴らしい声音なのです。
沢田研二さんは決して若さにすがりつこうとはしません、あるがままに年齢を重ねているのです。
そのため、デビュー当時の透明感と力強さがあり、その声の瑞々しさが際立っていました。
そして中年以降は自然な年齢の重ね方で若い頃の声に加えてそこに深みと渋さが加わりました。
落ち着いた深みのある声が出来上がり、その表現力が研ぎ澄まされて行ったのです。
沢田研二美しいのまとめ
沢田研二さんは昭和という時代が生んだ大スターでした。
そんな沢田研二さんは昭和、平成、令和と3代にわたり活躍を続けているのです。
そして沢田研二さんほど歌手として大成し、また俳優としても大成した芸能人を私は他に見たことがありません。
アイドル時代からソロ歌手へと転向し、また俳優としても他者の追随を許さない実力の持ち主でした。
加えて沢田研二さんの最高の魅力はその美しさにあるのです。
沢田研二さんはハンサムでもなく、男前でもなくその実態は兎にも角にも「美しい」のです。
確かに今の沢田研二さんは太りました、髭も生えました。
しかしそれらは自然に年輪を重ねた美しさとして今に蘇っているのです。
しかも沢田研二さんの声の美しさは全く変わらず、色あせず、深みが出ているのです。
もちろん沢田研二さんの美しさは外見だけの美しさに留まりません。
彼の持つ得も言われぬ独特の魅力、そして生き方、表現力なども上げられるのです。
彼の端正な顔立ちとシャープなフェイスライン。
そしてその潤んだような瞳から放たれる甘い視線。
どんな衣装でも完璧に着こなすセンスやバランスの取れた肢体は見る者を惹きつけて止みません。
沢田研二さんは年齢を重ねることを恐れません、ファンに媚びることもしません。
「沢田研二」は日本が生み出した唯一無二の美しさ溢れる大スターなのです。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
沢田研二のプロフィール
- 生年月日 1948年(昭和23年)6月25日(金)76歳
- 本名 澤田研二(さわだ けんじ)
- ニックネーム ジュリー
- 出身地 京都府京都市
- 身長 171cm
- 血液型 A型
- 配偶者 田中裕子(女優)
- 職業 歌手、俳優、ソングライター
- 所属事務所 「株式会社」渡辺プロダクション
- 公式サイト 沢田研二 オフィシャルサイト
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