郷ひろみさんが大活躍した若い時代、スター達が輝いていた1970年代以降の昭和時代とは歌謡界にとっていったいどんな時代だったのでしょうか、「新御三家」と言われた郷ひろみさんにとっても昭和時代は今の時代に通ずる最も大切な時代でした。そんな昭和時代とはいったいどんな時代だったのでしょうか。出来るだけ深く掘り下げて検証して見たいとおもいます。
1970年代の郷ひろみ
今では69歳となり芸能界のレジェンドとなった郷ひろみさん。
1970年代はじめにデビューした当時は、郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんの3人が「新御三家」と言われ人気を3等分していました
ちなみに最初の「御三家」と呼ばれるのは1960年代に活躍した、橋幸夫さん、舟木一夫さん、西郷輝彦さんです。
また女性では山口百恵さん、桜田淳子さん、森昌子さんなどが「花の中三トリオ」と言われもてはやされた時代でした。
また同時期には3人トリオのアイドル「キャンディーズ」も大いに人気があり、1970年後半には二人デュオのピンクレディーが一大ブームを巻き起こしました。
このように1970年代は新しい男性や女性のアイドルが多数誕生してそれぞれが異なる個性を持ち女性や男性のファンを中心に絶大な人気を誇った時代でもありました。
特に郷ひろみさんのスマートで都会的な魅力は多くの女性ファンを創出して行ったのです。
この時代は今のようにインターネットなどは欠けらももありません、もちろんSNSなどあろうはずのない時代でした。
テレビやラジオ、雑誌が情報源のすべてだったのです。
そんな中にあって芸能人たちは圧倒的な存在感がありました。
そして郷ひろみさん達「新御三家」や「花の中三トリオ」と言われた人達はそれまでの演歌が中心をなしていた時代を変革して行ったのです。
それは、ビジュアルとエンターテインメント性を前面に押し出し多くの若いファンを中心に絶大な人気を博するようになって行きました。
郷ひろみが最も輝いた昭和歌謡時代(1970年以降)
今のようにインターネットやSNSが発達していなかった当時の1970年代、郷ひろみさんが活躍した昭和の時代はまだまだテレビが家庭における娯楽の中心にありました。
その中で繰広げられる音楽番組や歌謡ショーなどが高視聴率の記録を伸ばし続けていた時代でもあったのです。
1970年代に活躍した昭和のスター達は人々の憧れであり、親しみでもありました。
そしてそれらは大衆文化の中核となる存在だったのです、彼らの顔は単なる芸能人ではなく、「時代の顔」でもあり「国民的存在」でもあったのです。
私も今は70代前半の年齢となりましたが、この時代に育った我々には当時のテレビや歌は自分の人生の記憶と深く結びついています。
単なるノスタルジーというよりも少し大げさですが「日本人の心の原風景」とも言えると思います。
この時代は日本の大衆文化が最も成熟し、発展し、独自の輝きを放っていたのです。
テレビは国民に広く普及し、レコード産業も大きく成長し、そして多くの芸能事務所が誕生した時代だったのです。
こうして昭和の歌手達はファンとの新しい関係性を構築し、多くの歌手が「スター」としての地位を確立して行った時代でもありました。
1970年代は高度経済成長が終焉を迎えつつある時代でしたが、文化的には独自の進化、成熟を遂げ芸能界でも黄金時代の一時期を築いた時代でした。
テレビ時代全盛期に誕生した郷ひろみの昭和期
昭和30年代から普及仕始めたテレビは昭和40年代(1970年代)になると日本のほとんどは一家に一台のテレビが普及するようになって行きました。
そしてテレビを囲む一家団欒が当たり前の日常になったのです。
こうした変化は芸能界の発展にも大きな影響をあたえました、それまでのラジオや映画が主な娯楽であったものが、家庭に居ながらにして「見せる芸能界」へと変化していったのです。
こうしてより「ビジュアル」な要素が重要となって行きました。
歌唱力だけでなく、容姿やファッション、立ち居振る舞いが重要視されるようになったのです。
郷ひろみさんはまさにその潮流にピッタリとハマったのです。
あの愛くるしマスクで歌う姿は当時の女の子達を熱狂させたのです。
郷ひろみさんが好きすぎて「郷ひろみが好き」という遺書を残して自○した女の子まで出現したのを私は今でもハッキリと覚えています。
こうして郷ひろみさんが育って来た昭和の時代はまた、芸能事務所(芸能プロダクション)がそれらのスターを育成し、管理するシステムが構築されてきた時代でもありました。
この時期、いまでは大手といわれる「ジャニーズ事務所」「ホリプロ」「サンミュージック」「渡辺プロ」など錚々たる芸能事務所が大きく成長した時代でもあったのです。
歌手、俳優、タレントの発掘などの発掘がさかんになり、歌手や俳優が芸能界で生き残るために必要なメデイア戦略やその人物のキャラクター設定まで行いました。
そしてスキャンダルの管理まで強力に行うマネジメントシステムが確立して行ったのです。
反面、歌手達の私生活なども事務所の意向が大きく反映されるようになりました。
そして当時のスター達はその枠組の中で個性を放ち、磨かれ、多くの国民に支持され愛されるようになって行ったのもこの時代の特徴でした。
郷ひろみ若い頃の音楽番組と年末特番の黄金期
1970年から1980年代の初頭にはテレビのゴールデンタイムという時間帯に多くの音楽番組、歌謡番組が放送された時代でした。
そして年末の音楽番組にも「年末特番」としてたくさん作られたのです。
「NHK紅白歌合戦」は戦後まもなくから開始されこれはほとんど別格の歌番組ではありましたがこれもテレビが普及すればこそでした。
当時の有名な歌番組としてあげられるのが「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」「歌のトップテン」そして
「NHK紅白歌合戦」などでした。
「紅白歌合戦」は昭和26年(1951年)1月3日(水)から始まり第3回までは正月番組でしたが、第4回目からは年末の大晦日に行われるようになりました。
これらの音楽番組はいずれも高視聴率を記録したのです。
それにより当時の歌手達は「歌手=テレビスター」だったのです。
特に当時人気のあった「ザ・ベストテン」(TBS)は視聴者からのハガキや投票、レコード売り上げ、巷の人気などを元にして毎週ランキングを発表したのです。
これは当時としては革新的なやり方で歌手の人気度が「可視化」されたのです。
こうしてスター達同士の競争や緊張感も生れ、視聴者の興味を惹きつける「エンタメ性」が向上して行きました。
そんな中にあって郷ひろみさんの人気度も沸騰して行ったのでした。
まさに歌謡番組の黄金期が到来したのです。
中でも「NHK紅白歌合戦」は歌手達にとって、この年末番組に出場することは最大の栄誉となって行きました。
この番組に出場することは歌手として「一流の証明」となったのです。
そして出場回数の多いほど芸能界における存在感も増して行きました。
ちなみに郷ひろみさんはNHK紅白歌合戦には37回出場しておりこれは男性歌手としては歴代第5位、女性も含めると第7位という輝かしい記録を打ち立てているのです。
郷ひろみ若い頃と昭和歌謡の終焉
昭和歌謡の終焉と言っても昭和歌謡がなくなったということではありません。
1989年に昭和天皇の崩御により、昭和という時代が終り、昭和歌謡も変化を遂げて行ったということです。
90年代以降はJ-POPというスタイルが誕生しグループやプロデュース重視の傾向が大きくなって行きました。
昭和の日本歌謡界は文化そのものでした。
郷ひろみさんもこの時代に誕生し、「新御三家」が生れ多くの歌謡界にも多くの才能が共鳴した時代でした。
音楽の力で日本人の心を豊かにし続けた時代だったのです。郷ひろみさんのような男性アイドルだけでなく女性アイドルも数多く誕生した時代でもありました。
山口百恵さんや、中森明菜さん、松田聖子さんなどのスーパーアイドルも次々と誕生して来ました。
彼女達はその時代の女性像を体現している存在だったのです。
特に山口百恵さんの引退コンサートは伝説的なイベントとなり、松田聖子さんのヘアースタイルは「聖子ちゃんカット」としてこの時代の若い女性のヘアーファッションとして大いに流行したのです。
そしてまた、この時代は五木ひろしさん、森進一さん、美空ひばりさ三波春夫さんなど演歌歌手の大御所も建材で歌謡界における「若さ」と「伝統」が上手くかみ合い車の両輪として力強く存在していた時代でもありました。
昭和歌謡のその素晴らしさは今でも私達の心に息づいており、昭和歌謡はただ単に懐かしさだけを語るのではなく、芸術としての完成度の高さや、情緒、物語性、などのたくさんの要素が備わっていたのです。
昭和歌謡はアニメと共に世界に誇る日本文化の一つなのです。
郷ひろみ若い頃のまとめ
郷ひろみさんは1970年代に誕生し昭和歌謡の時代を力強く、この令和の時代まで生き抜いて来ました。
郷ひろみさんはデビュー以来若い頃から時代の変化に合わせそのスタイルを上手く合わせながら常に芸能界の先端を走り続けて来たのです。
そんな郷ひろみさんが最も輝いた時代は昭和の時代でした。
この時代には郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんの3人が「新御三家」として台頭し、その人気が爆発した時代でもあったのです。
郷ひろみさんを含むこの3人は当時の若者のカリスマ的存在でテレビ、ラジオ、雑誌などのあらゆるメデイアに登場してまさにアイドル分化の中心的存在でした。
そして昭和時代はテレビが国民的娯楽のまっただ中にあったのです。
そのため音楽番組などは視聴率も非常に高く、郷ひろみさんなどが出演する歌謡番組やテレビドラマなどは家族全員で楽しむものでした。
1970年代の昭和時代は高度経済成長の余韻のようなものがまだ少しとは言え残っていたのです。
社会全体をみてもまだ活気のようなものがありました。
人々はまだ社会に希望をもって生きており、郷ひろみさんのようなエネルギッシュで明るいキャラクターが時代にピッタリとマッチしていた世の中だったのです。
郷ひろみさんが最も輝いた昭和の若い頃は時代のエネルギーと郷ひろみさんの才能やキャラクター、努力が絶妙に重なり人気が沸騰したのでした。
そんな郷ひろみさんも今では69歳という年齢になられました。
しかしながらその輝きは令和になった今日でも色あせることなく輝きを放ち続けているのです。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
郷ひろみのプロフィール
- 生年月日 1955年(昭和30年)10月18日(火)69歳
- 本名 原武 裕美(はらたけひろみ)
- 出身地 福岡県
- 職業 歌手、俳優、タレント、実業家、アイドル
- 所属事務所 株式会社「バーニングプロダクション」
- 公式サイト HIROMI GO
引用:ウィキペディア
合わせて読みたい郷ひろみの関連記事 ⬇



コメント