沢田研二さんは76歳となった今でも精力的に全国を駆け回り、コンサート活動を続けています。またその俳優としての評価も非常に高いものがあります。そのパワーの源は一体何処から来るのか、衰えを知らぬそんな沢田研二さんの今どうしてるのかを調べて見ました。
沢田研二は最高のロックンロールスター
ロックンロールスター沢田研二さんがステージに登場したその瞬間から観客は総立ちになってしまいます。
昔となんら変わることの無い風景が突然現れるのです。
若い頃からのファンの一人が語ったところによると昔も素晴らしかったけれど、今の沢田研二さんを見るに付け、また違う喜びがあると言います。
今のジュリーに会えたという喜びは当時をはるかに凌ぐものが感じられるというのです。
それは沢田研二さんは若い頃から華やかであり、圧倒的なオーラを感じさせるスターであったからです。
そんなスターは他にいませんでした。
だだのアイドルではなくその圧倒的な歌唱力も大いなる魅力でした。
それが故にザ・タイガースを解散した後でもその人気は全く衰えることがありませんでした。
往年のファンはもとより新しい世代のリスナーもまた彼の魅力を再発見しているのです。
昭和歌謡からロックンロールまでソロで活動を始めたときから絶えず新鮮な風を吹き込んで来ました。
そして沢田研二さんの音楽やスタイルに大きな影響を受けたアーティストも数多く存在します。
例として挙げれば、氷室京介さん、吉川晃司さん、吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)さんなどもそのひとりでした。
まさに彼(ジュリー)は日本の音楽、芸能界において特筆すべき存在で今でも最高のロックンロールスターなのです。
沢田研二とタイガースの全盛期
今から約50年前、日本の歌謡界はグループサウンズという一団が席巻した時代がありました。
グループサウンズというものを簡単に説明するとエレキギターやエレキベース、ドラムなどを用いて演奏、歌唱を行うグループのことです。
その時代、欧米で有名なグループはビートルズやベンチャーズ、ローリング・ストーンズなどがいました。
特に当時世界的人気グループであったビートルズが来日してからその人気は爆発的に急上昇して行ったのです。
これにより日本でも次々とグループサウンズがデビューして行きました。
それらは大小あわせると約300以上のグループがあったほどでした。
その頂点に君臨していたのがザ・タイガースという一団でした。
その中でもひときわ輝いていたのはジュリーという愛称で親しまれた沢田研二さんでした。
タイガースが来ると沢田研二さんに会いたい、一目実物を見てみたいと言う人が押しかけて来たのです。
当時実際にあった話しとして・・
- 合宿所にファンが大挙して押しかける。
- 機動隊が出動してファンの整理にあたる。
- ジャズ喫茶の徹扉がファンに押されて壊れる、
- 移動時はパトカーが先導して信号まで止めてしまう。
- 新幹線を臨時停車させてしまう。
- コンサートでは貸し切りバスが数十台列を連ねてやってくる。
など数え挙げればきりがありません。
まさに彼らが所属する渡辺プロは「この世の春」状態だったのです。
その人気ぶりは今では考えられないことですが、これらは現実にあった話しなのです。
その沢田研二さんは今どうしているのでしょうか、それは当時を知る人にとっては誰もが知りたいことだと思います。
今回はそんな沢田研二さんの今を紹介して行きたいと思います。
沢田研二は今幾つになったのか
1948年(昭和23年)生れの沢田研二さんは2025年3月の時点で76歳です。
沢田研二さんは今でも各地を駆け回り、精力的にコンサートを続けておられます。
76歳のおじいさんがコンサートで全国を駆け回っているんですよ、駆け回って!
何なんですかこのパワーは!!
そして過去の曲だけにとらわれず新曲を次々と発表しているのです。
そしてその活動ぶりは今でも現役のロックスターであり、全力で時代を走り抜けているのです。
全国ツアーチケットは追加公演まで完売してしまうのです。
またユーチューブなどの配信によりなんと、沢田研二ファンはZ世代でもいるのです、しかもそれが増加傾向にあるのです。
それはなぜか、答えは簡単で「歌が上手」という一言に尽きるのです、その歌唱力にあるのです。
年輪は刻んでもその声は衰えることを知りません。
それは沢田研二さんが顔が老けようが体型がデブろうが関係ないのです。
いまの40代、50代の芸能人のように若さに必死ですがりついているような芸能人ではないのです。
若さを保ちたいが故にウエイトトレーニングをやったり、食生活に気をつけたりはせずに、自然のままに、あるがままに年齢を重ねているのです、実に素晴らしいじゃあありませんか!
私も沢田研二さんより少し下の年齢ですが、是非見習いたいと思っています。
沢田研二の俳優としての力
また沢田研二さんは俳優としてもその演技力が高く評価されているのです。
「第6回高崎映画祭最優秀主演男優賞」『夢二』
「第16回日本映画批評家大賞主演男優賞」『幸福のスイッチ』
「第77回毎日映画コンクール男優主演賞『土を喰らう十二ヶ月』
「第96回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞」『土を喰らう十二ヶ月』
「2022年度全国映連賞男優賞」『土を喰らう十二ヶ月』
引用:ウィキペディア沢田研二
歌手として活動しながらまた俳優としてもこれだけの高い評価を得ている芸能人は正に沢田研二さん只ひとりなのです。
沢田研二さんは歌手として培ったカリスマ性が映画のスクリーンにおいても遺憾なく発揮されているのです。
そして二枚目俳優でありながらコメディアンとして十分通用するのです、シリアスな役からコミカルな役まで幅広くこなすことが出来ます。
また歌っているときとは裏腹に大げさにならず自然体のナチュラルでそれでいて説得力のある演技が出来ます。
もちろん沢田研二さんは映画だけでなくテレビドラマ、音楽番組、バラエティー番組、ラジオ番組、舞台、そして映画の吹替え(声優)、CMとその活動の幅は芸能全般、すべてのジャンルといっても過言ではないでしょう。
これだけ幅広くオールマイティーに活躍している芸能人が他にいたら教えて欲しいですね。
これが沢田研二さんは「文化」であると言われる所以なのです。
沢田研二今のまとめ
昭和のデビュー当時から令和に至る現在まで沢田研二さんの人気は全く衰えることを知りません。
令和の今になっても常に時代の最先端を走り続けている最高のロックンロールスターが沢田研二さんなのです。
私も昭和の時代から令和の現在にいたるまで星の数ほどのアイドルグループを見続けてきましたが、アイドルグループの中で沢田研二さんほどの歌唱力を持ったアイドルというものを見たことがありません。
だからこそ令和の今日まで時代の最先端を走り続けることが出来ているといえるでしょう。
歌唱力、表現力、存在感などどれを取っても76歳の今日まで高く評価されているのです。
澤田研二さんは女性ファンもたくさんいますが、男性ファンが多いことでも特筆に値するでしょう。
そして同じ業界にも沢田研二ファンが大勢いることでも有名なのです。
内田裕也さん、久世光彦さん、阿久悠さん、加瀬邦彦さんなどの有名人も多数いるのです。
また彼の曲をカバーしたアーティストも以外に多いのです。
河村隆一さん、稲葉光二さん、福山雅治さん、斉藤和義さん、レスリー・チャンさん、ASKAさんなど実に蒼々たるアーティスト達がジュリーの曲をカバーしているのです。
60数年を経てなおかつパワフルに活動を続ける沢田研二さん、これからも多くのファンのために末永く活躍することを祈らずにはおれません。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
沢田研二のプロフィール
- 生年月日 1948年(昭和23年)6月25日(金)76歳
- 本名 澤田研二(さわだ けんじ)
- ニックネーム ジュリー
- 出身地 京都府京都市
- 身長 171cm
- 血液型 A型
- 配偶者 田中裕子(女優)
- 職業 歌手、俳優、ソングライター
- 所属事務所 「株式会社」渡辺プロダクション
- 公式サイト 沢田研二 オフィシャルサイト
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