沢田研二さんはグループサウンズの先駆けのような人で当時「ザ・タイガース」というバンドがデビューするやその甘いマスクと抜群の歌唱力でたちまちの内にグループサウンズのトップスターとして盤石の地位を確立したのです。そんな沢田研二さんには一度離婚歴がありますが今回はそんな沢田研二さんが結婚した2人の奥さんに焦点を当てて調査してみました。
沢田研二の奥さんは田中祐子
沢田研二さんは現在76歳です。
1960年代のグループサウンズ全盛期のトップスタートとして知る人ぞ知る人物でまたソロ活動をするようになってからもその人気は衰えることがありませんでした。
そんな沢田研二さんの奥さんはいったいどんな人なんでしょうか。
沢田研二さんの現在の奥さんは女優の田中裕子さんです。
田中裕子さんはあの有名なNHKの朝の連続テレビ小説「おしん」で主役を務めた女優さんです。
おしんは当時平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%という今では考えられない視聴率を記録しているのです。
おしんと言えば幼少期を演じた小林綾子さんが有名ですが、この物語の大半は田中裕子さんが演じていたのです。
この最高視聴率62%を超えたときに演じていたのは田中裕子さんだったのです。
これを見ても田中裕子さんの演技力の高さが窺えますね。
沢田研二さんは離婚歴が一度あるのですが、最初の奥さんは双子の歌手として有名なザ・ピーナッツの伊藤エミさんでした。
今回はそんな沢田研二さんの2人の奥さんについて調査して見ました。
沢田研二さんの一度離婚歴があり、現在の奥さんは女優の「田中裕子」さんです。
当時は沢田研二さんが前妻の伊藤エミさんや一人息子を捨てて田中裕子さんの元に走ったことで田中裕子さんは週刊誌などから「略奪愛」だとか「魔性の女」などと書き立てられたのです。
しかし田中裕子さんは芸能界からはじかれることもなく、沢田研二さんの離婚2年後に結婚へと至りました。
2人の挙式は1989年11月12日(日)のことでした。
場所は八百万の神が集まる「出雲大社」で行われたのです。
この挙式を一目見たいと再婚であったにも関わらず集まったファンは約3000人という途方もない人数だったのです。
この時沢田研二さん41歳、田中裕子さん34歳のときでした。
沢田研二の奥さん田中裕子との馴れそめ
沢田研二さんの奥さんである田中裕子さんは1955年(昭和30年)生れで現在は69歳になっているのです。
田中裕子さんと沢田研二さんの馴れそめは1982年4月に再結成したザ・タイガースのコンサートで沢田研二さん当時33歳と対面したのです。
そして同年末に人気映画「男はつらいよ」シリーズのの「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982年)での共演をきっかけとして2人の仲は急接近して行ったのです。
この時、田中裕子さんは26歳でした。
翌年83年の夏ころには沢田研二さんが頻繁に田中裕子さんのマンションに通う姿が目撃されていたのです。
しかしこの時に沢田研二さんは当時大人気であった双子のデュオ「ザ・ピーナッツ」の姉であった伊藤エミさん(7歳年上)と結婚していたのです。
つまり沢田研二さんは不倫の真っ最中だったことになります。
その後86年8月に沢田研二さんは一人息子と妻を残して家を出てしまいます。
この時に沢田研二さんは離婚届に判を押して只一人家を出たのです。
翌年87年1月7日にとうとう離婚が成立したのです。
このときに沢田研二さんが伊藤エミさんに支払った慰謝料は18億円以上と言われています。
これはそれまでに芸能人が払った慰謝料としては最大のものでした。
沢田研二の最初の奥さん伊藤エミとは
伊藤エミさんは沢田研二さんの最初の奥さんでした。
当時の伊藤エミさんはザ・ピーナッツとして人気は絶頂期にありました。
方や沢田研二さんもグループサウンズとしての人気は他を圧倒するものがありました。
二人は同じプロダクションである「ワタナベプロダクション」に所属していたのです。
そして二人を結びつけたのはザ・ピーナッツを主役にした当時の大人気音楽バラエティー番組であった「シャボン玉ホリデー」でした。
毎週日曜日の18:30から17:00までの30分番組で、1961年6月4日から1972年10月1日まで11年以上の長きに渡って続いたのでした。
これに出演していたグループサウンズのザ・ダイガーズの沢田研二さんと伊藤エミさんがいつしか恋に落ちたのです。
しかし番組が続いてた間は二人は全くそのような素振りは見せませんでした。
1975年4月にザ・ピーナッツとしての最後のさよなら公演を終えた後に二人は芸能界を引退します。
ちなみにこのような引退コンサートを開いたのは日本の歌手ではザ・ピーナッツが最初であると言われています。
そして同年6月4日に長女の伊藤エミさんは沢田研二さんとの結婚を発表しました。
二人の間には男の子が一人生れました。
しかしこの結婚生活は沢田研二さんと田中裕子さんの不倫により1987年1月に離婚が発表されました。
これにより沢田研二さんは当時自分が持っていたほとんどすべての財産(18億円以上)を伊藤エミさんに譲り渡したといわれています。
伊藤エミさんは沢田研二さんとの離婚後も表舞台には一切顔を出しませんでした。
同じ事務所に所属していた植木等さんやハナ肇さんの葬儀などにも一切出席することもなく、離婚後は都内で妹のユミさんと息子の3人でひっそりと暮らしていたのです。
住まいは沢田研二さんと暮らした家に住み続け、名前も沢田姓を名乗っていたのです。
これは息子に対する思いやりからだったそうですね。
伊藤エミさんが芸能界をキッパリと辞めたのは沢田研二さんから「結婚した後は家庭に入り歌手は止めて欲しい」と言われたからだそうです。
こうして芸能界から一切縁を切った伊藤エミさんでしたが、芸能界時代からの親友であった「中尾ミエ」さんや「伊藤ゆかり」さんとはお付き合いがあったようです。
生活は多額の慰謝料を貰ったとはいえ、決して贅沢をすることはありませんでした。
慰謝料の一部でマンションを購入し、その家賃で生活をしていたようです。
夫を奪われた形になってしまった伊藤エミさんでしたが、沢田研二さんが家を出た後も、田中裕子さんと結婚した後も伊藤エミさんは一切恨み言などは言いませんでした。
僕は思いますが、ザ・ピーナッツほどの実力があれば離婚してからでも再結成すればきっと歌手として売れ続けていたことと思います。
そんな伊藤エミさんでしたが、2012年に癌が発覚してわずか1ヶ月後に家族に見守られながらひっそりと天国へと旅だって行ったのです。
そしてその4年後の2016年5月には妹の伊藤ユミさんが天国へと旅だって行きました。
沢田研二奥さんのまとめ
沢田研二さんはビートルズが来日してから日本で一気にグループサウンズのブームが沸き起こりましたが、その草創期から常に最前線で活躍をしていました。
そしてその人気はグループサウンズの先駆けとして常にトップの地位を謙ることはありませんでした。
ソロ活動をするようになってからもその人気は衰えを見せることは無く、タイガース時代を含めたシングルレコードの売り上げはなんと1600万枚以上という驚異的な数字を誇っているのです。
そんな沢田研二さんは一度の離婚歴があり現在の奥さんは女優の田中裕子さんです。
一度結婚していた沢田研二さんは紆余曲折を経て1989年11月に二人は結ばれたのでした。
沢田研二さんは現在76歳になっておられますがその人気は若い頃と比べても衰えることはなく今でも精力的にコンサートを開催して多くのファンを魅了しているのです。
確かに若い頃に比べ体重も増え、その風貌の変化は否めませんが彼の持つ歌唱力やエンターテイナーとしての実力はいささかも衰えることはなく今でも多くのファンの支持を得ているのです。
再婚後の二人には子どもはいません。
しかし、夫婦の絆は固いものがあり、今でも二人はお互いを「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼び合う間柄なのです。
実に微笑ましい夫婦でもあるのですね。
これからも家庭を大事にして二人仲良くいつまでも元気で過ごされることを祈っています。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
沢田研二のプロフィール
- 生年月日 1948年(昭和23年)6月25日(金)76歳
- 本名 澤田研二(さわだ けんじ)
- ニックネーム ジュリー
- 出身地 京都府京都市
- 身長 171cm
- 血液型 A型
- 配偶者 田中裕子(女優)
- 職業 歌手、俳優、ソングライター
- 所属事務所 「株式会社」渡辺プロダクション
- 公式サイト 沢田研二オフィシャルサイト
田中裕子のプロフィール
- 生年月日 1955年(昭和30年)4月29日(金)69歳
- 出身地 大阪府池田市
- 身長 160cm
- 配偶者 沢田研二(歌手、俳優、ソングライター)
- 職業 女優
- 所属事務所 株式会社「アマ二出版」
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