山口百恵はキルト作家ってほんとうなの?いつからキルト作家になったのか!

昭和のアイドル歌手

山口百恵さんは芸能界引退後は再び復帰することなくその人生を歩んでこられました。そして家庭に入られた山口百恵さんが出会ったのがキルト作ることでした。このことはあまり知られていませんが今ではそのキルト作品の実力はプロ級と言われるまでになっているのです。今回はそんな山口百恵さんとキルトについて出来るだけ詳しく調査してみました。是非最後までお読み下さいね。

山口百恵とキルトの出会い

山口百恵さんは1970代に一世を風靡したアイドル歌手として有名ですが、デビューしてわずか7年間で惜しまれながら芸能界を引退してしまいました。

そしてそれ以降は芸能界からは完璧に縁を切り、再デビューすることは一切ありませんでした。

ではその後は一体どんな生活を送っていたのでしょうか。

じつは山口百恵さんはキルト作家になったという噂があるのです。

みなさんキルトってご存じですか。

キルトというのは簡単に説明すると次のようなものです。

キルト(quilt)は、表地(トップ・キルトトップ)に薄い綿(わた)をかませ、重ねた状態で縫った(キルティング)もの、手法。三枚目の生地で綿を挟む場合も多い。綿の厚みで陰影の表情がでる。引用:ウィキペディア

百恵さんがキルトに出会ったのは1984年4月に長男の祐太朗さんが生れ、翌年の11月には二男の貴大さんが生まれたことがきっかけとなったのです。

育児の合間でも出来る趣味があればいいと考えた山口百恵さんは家に居ながらにして、楽しめてそれが子供達のためにもなる趣味が欲しいと思ったのです。

そこで始めたのがキルト作りだったのです。

山口百恵さんがキルトを始めた時は誰かに習いながら始めた訳ではありませんでした。

最初はキルトの雑誌などをみながら見よう見まねで始めたのです。

そしてある日、山口百恵さんは後にキルトの師匠となる鷲沢玲子さんの国立市にあるキルト教室とその材料を販売するお店に材料を買いに立ち寄ったのです。

これが鷲沢玲子さんと山口百恵さんの初めての出会だったのです。

:本来結婚後は三浦百恵さんになった訳ですが、この記事では山口百恵さんで通して行きます。

 

山口百恵とキルトの相性

山口百恵さんがキルト制作をはじめてからすでに40年以上の歳月が流れました。

これだけ長期に渡ってキルトを作り続けて来れたのは何故なんでしょうか。

それは山口百恵さんの師匠である、鷲沢玲子さんが明確な答えを出してくれているのです。

 

キルト制作に向いているのは、ノンビリした“性格”の待てる人です「子どもの頃から家庭科が苦手で」という人でも、ものすごく上手に仕上げたりします。反対に手先が器用で配色のセンスがあっても、すぐに結果が見たいタイプの方には難しいかもしれません。器用・不器用にかかわらず、キルト制作には「最後までしっかり仕上げよう」という気持ちが何より大切なのです。実は、キルトを一番早く仕上げるのは、毎日1時間ずつ作業する人だと言われています。「今日はたくさん縫ったけれど、明日、明後日はやらない」という人より、少ない時間でも毎日コツコツ進める人のほうが絶対に早い。壁に飾る大きなタペストリーも、1日のノルマを決めて縫い進めていけば、間違い無く1年で完成します。365等分すれば1つ1つはごく小さい面積なのです。なので、キルトに初めて挑戦する際は、2~3日または1周間程度で出来上がる小さなものから作り始め、最後まで仕上げる喜びを味わっていただきたいと思います。達成感や「楽しかった!」という気持ちはモチベーションになりますから。

そういう意味で、私の教室の生徒の一人である山口百恵さんは、キルト作りに向いている方だといえるでしょう。物静かでおっとりしていて、何ヶ月かかっても仕上げる強い心を持っていらっしゃる。しかも始められたのが芸能界を引退した数年後という、まだまだマスコミに追いかけられている時期でしたから、家の中で打ち込む趣味としてもちょうどよかったのかも知れません。引用:婦人公論.JP

と師匠の鷲沢玲子さんは語っているのです。

山口百恵さんにとってキルトは家の中にいて子育ての隙間時間に行うのにはピッタリだったのですね。

 

山口百恵のキルト制作技術

山口百恵さんのキルト制作技術のレベルはどのくらいのものなのでしょうか。

最初、山口百恵さんは鷲沢玲子さんのお店が自分の家の近くにあることをキルトの専門誌で見つけ鷲沢玲子さんのお店に糸と綿と布を買うために出かけて行きました。

その時に作りかけのキルトを持参して行ったのです。

そこで持参したキルトについての詳しいアドバイスも頂けたのです。

こうして、山口百恵さんと鷲沢玲子さんのお付き合いが始まりました。

そして完成させたキルトは甥御さんにあげたそうです、そして次にはご主人である三浦友和さんのために半纏(はんてん)を縫ったそうです。

こうして山口百恵さんはわずか2ヶ月という期間で愛する旦那様にプレゼントする半纏を縫い上げたのです。

これには師匠の鷲沢玲子さんも非常に驚いたそうです。

その作品は非常に丁寧な作りであったそうです、鷲沢玲子さんは改めて山口百恵さんの仕事の丁寧さと集中力に感心したそうです。

その後山口百恵さんは屋久40年に渡ってキルトを作り続けて来ました。

そんな山口百恵さんは師匠である鷲沢玲子さんの評判もとても良くて現在の腕前はプロ級と言われるほどになっているのです。

そして鷲沢玲子さんが展示会を開く時には必ずと言っていいほど、山口百恵さんの作品も一緒に展示するようになっているのです。

山口百恵さんが培って来たキルトの技術は今ではプロ級との評判があるほどです。

2019年には三浦百恵として自身のキルト作品集「時間の花束」を発売してなんと20万部を超えるベストセラーとなっているのです。

また2022年に制作した「タイムトラベル」というタペストリーは「QUILTS JAPAN」(2023年10月号秋 日本ヴォーグ社)という専門雑誌の表紙として掲載され今では押しも押されもせぬ“日本のトップキルト作家”として認められているほどです。

 

山口百恵と現在のキルト

今年2025年の3月24日から29日にかけての6日間に開催された鷲沢玲子さんの「キルトフェスタ2025」キルト展にも山口百恵さんの新作キルト作品が出展されました。

その作品は横幅136cm、縦182cmの大きな作品となっていて作品名は「記憶のかけら」となっていました。

いまでは一般の人にも山口百恵さんのキルト作品の素晴らしさが認知されうようになっているのです。

そしてキルト展が開催されると山口百恵さんの作品の廻りには大勢の人だかりが出来るまでになっているのです。

また師匠の鷲沢玲子さんは山口百恵さんの作品を絶賛して次のように評しているのです。

《キルト作りには性格が出ると言われます。「目立ちたい」「格好良く見せたい」という気持ちが前面に出てしまう人も少なくないなか、三浦さんの作るキルトは、これ見よがしなところが一切なく、とても優しい。それでいて時々ハッとするほど個性的な配色を見せるところは、さすが華やかな世界で生きてこられた方だと思います》引用:婦人公論.JP

山口百恵さんは長年キルトフェスタが開催されるたびに出品を師匠から勧められて来ました。

焦らず、急がずじっくりとキルトに取り組んで来たキルト作り人生の集大成に対する師匠の評価なんですね。

2023年に開催されたキルト展のパンフレットに山口百恵さん自身自分のキルト作品に対する思いをえメッセージとして次のように載せていました。

長い年月で頂いたものが増え、この可愛いプリント布をなんとか活かしたいとシンプルに仕上げました。「この布はあの時に」「これはあの人が」と下さった友や頂いた時を思い、楽しく温かな気持ちで針を進められました。不自由を強いられる日々。手しごとの時間に感謝を》 このメッセージからは、キルトと共に35年の時を歩んできた百恵さんの万感の思いが伝わってくる。引用:NEWSポストセブン

山口百恵さんは66歳という年齢になっていますが、人生100年と言われる現在にあってまだまだこれから30年以上の時間があるのです。

これからも素晴らしい作品を出されることと思います、それを思うと楽しみでなりませんね。

 

山口百恵キルト作家と皇室の関わり

2025年3月24日(月)~29日(土)に開催された「鷲沢玲子の『キルトフェスタ2025』」では山口百恵さんが出品されたキルト作品「記憶のかけら」にも多くのファンが集まり、その廻りには大勢の人盛りが出来ていました。

そしてそこにはキルト展を祝ってお祝いの花が3つ飾られていたのです。

そのうち二つはキルト関係者からのものでした。

ところが後の一つには送り主の名が記載されていませんでした。

実はこの花束を送ったのは皇室の紀子様であると言われています。

ではなせ紀子様が山口百恵さんが展示されていたキルト展にこのような花束を贈呈されたのでしょうか。

それには紀子様とキルトの関係を少し深掘りする必要があるようです。

紀子様とキルトの関係は2002年に開催された「東京国際キルトフェスティバル」に紀子様が臨席されたのが始まりでした。

キルトを大層お気に召された紀子様はそれからも公務の時間の許す限り、国際的なキルトの展示会があるたびに見学に出かけておられたのです。

そしてどういう訳か山口百恵さんのキルトの前でしばし足を止められ見入っていることが多かったのです。

それまでに国際的なキルトの展示会でキルトに対する憧憬を深めておられた紀子様はやはり良いものを見る目が養われていたのですね。

そして自らもキルトの作成に携わっていたことを今年4月から筑波大学に進学された悠仁(ひさひと)様が話された言葉の中に母である紀子様が休日には刺繍やキルト作りをしていることを述べておられたのです。

紀子様は数年前から鷲沢玲子さんからもキルトの作り方を学ばれることもあるそうです。

鷲沢玲子先生は紀子様のレッスンのために赤坂御用地のお住まいまで訪れることもあるのです。

さすがに山口百恵さんが師事した鷲沢玲子先生の面目躍如たるところです。

なので山口百恵さんにとって紀子様はキルト教室の“妹弟子”にあたるのです。

山口百恵さんは本当に良いご縁をお持ちですね(^_^)

 

山口百恵キルト作家のまとめ

山口百恵さんは1980年に芸能界を引退して以来一度も復帰するすることはありませんでした。

そして子どもさんが誕生してから、育児や家事をこなしながら出来る趣味はないかと思案し、辿り着いたのがキルトでした。

家事や育児の合間に出来る趣味としては百恵さんにピッタリだったのです。

そしてキルトを制作し始めてすでに40年以上を経過するようになったのです。

その実力は師匠である鷲沢玲子さんにも高く評価され、鷲沢玲子さんが開く展示会にも必ずと言っていいほど百恵さんの作品は展示されるようになって行きました。

師匠が開くキルト教室の後輩受講生のみなさんからも百恵さんの作品はあこがれの存在として誰からも認められているのです。

そしてその作品は畏敬の念を込めてみられるようになり、いつしかその作品は「三浦様の作品」として見られるようになったのです。

展示会をみた受講生からは「私も早く三浦様のような作品がつくれるようになりたい」「ああ、三浦様の作品はなんて美しいんだろう!」「私も三浦様を目標に頑張りたい!」などと称賛の声が上がっているのです。

山口百恵さんはキルト作家になろうとしてキルトを始めた訳ではありませんでした。

ただひたすら家事の合間にコツコツとキルトに取り組んで来た結果が今のように廻りから尊崇の念を持って評価されるようになっただけなのです。

ですから、気が付けば「日本を代表するトップキルト作家」として誰もが認める存在となっていたのでした。

山口百恵さんはこれからもキルト愛好家の「あこがれの星」「希望の星」となって輝き続けることでしょう。

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

山口百恵のプロフィール

  • 生年月日      1959年(昭和34年)1月17日(土)66歳
  • 出身地       神奈川県横須賀市
  • 身長        158cm
  • 血液型       A型
  • 職業        女優、歌手
  • 配偶者       三浦友和
  • 所属事務所     株式会社「ホリプロ」1973年~1980年 引用:ウィキペディア

 

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