山口百恵と三浦友和の馴れそめは?世紀のゴールデンコンビが辿った人生の悲哀!

昭和のアイドル歌手

世紀のゴールデンカップルと言われた山口百恵さんと三浦友和さん。今年2025年は結婚45年めのサファイア婚式を迎える2人の仲睦まじさは誰もが認めるところです。今回はそんな2人の馴れそめや結婚生活についてできるだけ詳しく調査してみました。是非最後までお読み下さいね。

山口百恵と三浦友和の馴れそめは?

山口百恵さんは1970年代に一世を風靡したアイドルとして今でもその人気は絶大なものがあります。

当時「花の中3トリオ」と言われ、山口百恵さん、桜田淳子さん、森昌子さんと人気を等分したことでも知られています。

中でも山口百恵さんの人気は3人の中でもナンバーワンでした。

そんな山口百恵さんも結婚を機に芸能界を引退して以来一切表舞台に姿を見せることはありませんでした。

その山口百恵さんの旦那様が俳優として今でも活躍を続けておられる「三浦友和」さんでした。

今回はそんな山口百恵さんと三浦友和さんの馴れそめについて報告して見たいと思います。

この2人を結びつけたのが1974年12月に公開された山口百恵さん主演の映画「伊豆の踊子」であると思われがちですが、それより以前に2人は共演しているのです。

当時2人は山口百恵さんが15歳、三浦友和さんは22歳という2人とも青春まっただ中にありました。

その最初の共演はグリコのお菓子ポッキーのCMで同年の夏に発表されていました。

撮影場所は東京の世田谷区にある砧(きぬた)公園でした。

ここが2人の最初の出会いの場所でした。

とは言ってもこの時、山口百恵さんのCMの撮影相手は全く違う人だったのです、この時の撮影場所はグアム島でした。

でもこのCMの出来があまりよくなかったのです。

そこで急遽撮り直すことになったのですが、再度グアムまで行くには時間がなかったため砧公園での撮影となり、お相手も三浦友和に変更となったのです。

三浦友和さんはこの頃はまだほとんど無名の俳優でした。

只当時出演していたドラマの「シークレット舞台」での爽やかな演技ぶりが評価され急遽三浦友和さんに白羽の矢が立ったのです。

このCMでは2人の息がピッタリと合い出来が凄くよかったため、三浦友和さんは次の映画「伊豆の踊子」(原作 川端康成)の山口百恵さんのお相手役として選ばれたのでした。

最初、山口百恵さんの相手役は一般公募で募集していました、この時の応募者は1万人以上いたそうです。

そして当初は現役の東大生にほぼ決定していたそうですが、この時の監督であった西川克己さんがCMで共演していた三浦友和さんを思いだし、彼を強力に推薦してくれて三浦友和さんに決定したという裏話があったのです。

 

山口百恵三浦友和の共演した映画

山口百恵さんと共演した「伊豆の踊子」は大ヒットしました。

この「伊豆の踊子」は川端康成さん原作で山口百恵さんで6作目の映画となりました。

山口百恵さんはすでに15歳でトップアイドルの仲間入りをしていましたが、三浦友和さんはまだほとんど無名の俳優でした。

そしてこの「伊豆の踊子」が三浦友和さん最初の映画出演となったのです。

その後も三浦友和さんと山口百恵さんの共演する映画はたくさん作られ最終的に2人の共演作品は12もの数に上りました。

  • 伊豆の踊子(いずのおどりこ)
  • 潮騒(しおさい)
  • 絶唱(ぜっしょう)
  • 風立ちぬ(かぜたちぬ)
  • 春琴抄(しゅんきんしょう)
  • 泥だらけの純情(どろだらけのじゅんじょう)
  • 霧の旗(きりのはた)
  • ふりむけば愛(ふりむけばあい)
  • 炎の舞(ほのおのまい)
  • ホワイト・ラブ
  • 天子を誘惑(てんしをゆうわく)
  • 古都(こと)

そしてそれらの作品はほとんどがヒット作となって行きました。

三浦友和さんは山口百恵さんが出演した映画では最多の共演相手となっています。

そのため三浦友和さんは山口百恵さんのお相手役として数々の作品に出演したことから「ゴールデンコンビ」として多くのファンから人気を博したのです。

そしてあまりに2人の映画作品が多かったためいつも2人一緒で撮影現場でデートしているようなものだったと三浦友和さんは後日語っていました。

もちろん山口百恵さんは映画だけに限らずテレビドラマにも数多くの出演作品があり、三浦友和さんとの共演も多くあったのです。

実は山口百恵さんが芸能界にデビューしたのはアイドル歌手としてが最初だと思われがちですが、そうではありません。

最初のデビューは1973年4月14日(土)に公開された映画「としごろ」で女優としてのデビューが最初だったのです。

この映画「としごろ」が出た後の5月21日(水)同名の曲でアイドル歌手としてデビューしたのです。

このように山口百恵さんは元々女優でした。

 

山口百恵三浦友和の結婚

山口百恵さんと三浦友和が結婚の挙式を挙げたのは1980年11月19日(水)のことでした。

当日の挙式は赤坂の霊南坂教会で行われ、披露宴は東京プリンスホテル「鳳凰の間」で1,800人の招待客の中、テレビ中継もされるほどの盛大なものでした。

2人が出会ったのは1974年にグリコのCM撮影があった砧公園でした。

当時百恵さんはすでにトップアイドルでありましたがまだ15歳と言う若さでした、三浦友和さんもまだ22歳のほとんど無名の俳優だったのです。

そうして6年間の間に2人は愛を育み結婚へと至りました。

三浦友和さんは彼女を意識するようになったことについて次のようにのべていました。

三浦は後年、彼女との馴れ初めを振り返り、当時のアイドルは人が決めたものをやるというのが普通だったなかで、《彼女はきちんと、自分の『これは違う』と思うものを、ちゃんと主張していたんですね。当時、まだ十代の女の子なのに、そういうことを見てて、ああ、素晴らしいな、と思い始めたのが、恋愛感情が出てきて、恋愛関係になっていくきっかけになったのかもしれません》と明かしている(『週刊文春』2014年4月3日号)。

引用:文春オンライン

それでは山口百恵さんは一体三浦友和さんのことをどう思っていたのでしょうか。

山口百恵さんは1979年10月20日(土)に行われた大阪厚生年金会館のコンサートで百恵さんは大勢の観衆の目の前で「私の好きな人は三浦友和さんです!」と堂々と告白したのです。

 

山口百恵の思う三浦友和との家庭のあり方

これまでの芸能人でこのような大舞台で愛する人を告白した例を私は知りません。

これは山口百恵さんの三浦友和に対する愛情の大きさの表現と自信の芸能生活に対する決別宣言だったのです。

山口百恵さんほどの実力があれば生涯芸能界の第一線で生きて行くことは楽に出来たでしょう。

それらの栄光を一切かなぐり捨てて三浦友和さんとの愛を成就させたのです。

実にいさぎよいではありませんか。

これから家庭を持とうとする山口百恵さんは三浦友和さんとの家庭のあり方についての思いを次のように語っていました。

 

《私は彼のためになりたかった。外に出て行く夫にむかって、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってあげたかった。愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった》(前出・『蒼い時』より)それは、彼女にとって「一生の覚悟」だった。

古くから2人を知る音楽関係者はこのように分析する。

「ボクサーや力士は、体力・気力の限界まで戦い、自分の限界を理解して、諦めるようにその場から去って行く。引退というのはそういうものですが、彼女の場合は違いました。年齢的にも、まだまだこれからというところで辞める。それは、三浦さんへの愛と、アーティストとしての生き方を秤にかけて、前者を選んだ結果でした」

引用:NEWSポストセブン

山口百恵さんは三浦友和さんに言われて専業主婦になった訳ではありません、これは山口百恵さんが自ら決断して選んだ道だったのです。

自身が通って来た過去の家庭生活を顧みてそれを反面教師として自分ならこんな家庭を作りたいという強い思いがあったのでは、と思われますね、そして家庭というものの大切さも痛感していたと思います。

 

山口百恵三浦友和の今

人生には波風は付きものです、山口百恵さんと三浦友和さんの家庭も決して順風満帆という訳ではありませんでした。

というのも旦那様である三浦友和さんが30代にはいると自分のキャラに合った仕事が思うように入らなくなります。

仕事が激減してしまったのです。

そして35歳の時に建てた豪邸のローンが重くのしかかり最悪自宅を売却しなければならないほどの事態に陥りました。

しかし、そんな時でも百恵さんは愚痴一つ言いませんでした。

ただ、黙々と三浦友和さんを支え続けたのです。

その頃は百恵さんはまだ20代の若さであるにも関わらず愚痴一つ言わずにただ淡々と支え続けました。

あるとき百恵さんは知人にこんなことを聞かれました。

夫婦喧嘩もしないとおっしゃるので、ある時うちの夫が百惠さんに「そうは言っても、たまにはムッとすることもあるでしょう?」と尋ねたのですが、その時も「いえ、ありません」とキッパリ。お互い心底から大切にし合っている、うらやましいくらい素敵なご夫婦です。引用:婦人公論.jp

そんな百恵さんの姿は三浦友和さんにとってどれだけ支えになったか、計り知れないものがありました。

三浦友和さんは30代になるまでに出来上がっていた自身のイメージから解放されて今ではどのような役柄でもこなせるようになっているのです。

三浦友和さんは結婚後には浮気やゴシップというものは全くありませんでした。

彼もまた百恵さんを裏切るようなことは何一つせず、百恵さんと子供達の家庭をしっかりと守って来たのです。

そのため三浦友和さんは数々の映画にまつわる賞だけでなく、天皇陛下から贈られる「紫綬褒章」や国から贈られる「勲四等旭日小綬章」まで受賞しているほどです。

そして2023年には長男の祐太朗さんに子どもさんが誕生し2人は今ではすっかりおばあちゃん、おじいちゃんになっているのです。

 

山口百恵三浦友和のまとめ

1980年に結婚した山口百恵さんと三浦友和さんはその後ずっと仲良く人生を共に過ごしてきました。

決して平坦と言える人生ではありませんでしたが、2人は共に手をとりあって苦難を乗り越えて来たのです。

そして山口百恵さんは引退後2度と表舞台に出ることはありませんでした。

三浦友和さんを支えしっかりと家庭を守って来ました。

時折、山口百恵さんが全く普通の主婦として買い物に出かけている姿などを写した写真が公表されたこともありました。

その姿を見るに付け今の生活をしっかりと守っている様子が窺え知れるのです。

中三トリオと言われ日本中の人気を独り占めしたような山口百恵さんですが、今その面影は全くと言っていいほどありません。

しかし彼女には何物にも代え難い暖かい家庭が存在するのです。

山口百恵さんの最終的に目指すところはここにあったのです。

歴史にもしはありませんが、もし山口百恵さんがグリコのCMでグアム島で最初に撮影したCMの出来が良かったら三浦友和さんとの出会いはどうなっていたでしょうか。

おそらく2人の出会いは無かったと思うのは誰でも感じるところです。

そして今でも芸能人の道を歩んでいたことでしょう。

三浦友和さんとの出会いは神様が決めた赤い糸で結ばれていたのです。

山口百恵さんは最後のコンサートで「幸せになります」と言ってマイクを置きました。

如何なる名声よりも暖かい家庭を持つことを選んだ山口百恵さん。

これからも愛する三浦友和さんや家族と足下の小さな幸せを大切に共に白髪の生えるまで末永くお幸せに!!

最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。

 

山口百恵のプロフィール

  • 生年月日       1959年(昭和34年)1月17日(土)66歳
  • 出身地        神奈川県横須賀市
  • 身長         158cm
  • 血液型        A型
  • 職業         女優、歌手
  • 配偶者        三浦友和
  • 所属事務所      株式会社「ホリプロ」1973年~1980年

三浦友和のプロフィール

  • 生年月日       1952年(昭和27年)1月28日(月)73歳
  • 出身地        山梨県塩山市(現・甲州市)
  • 身長         178cm
  • 血液型        AB型
  • 職業         俳優、歌手
  • 配偶者        山口百恵
  • 所属事務所      株式会社「テアトル・ド・ポッシュ」
  • 公式サイト      テアトル・ド・ポッシュ
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