八代亜紀さんは2023年12月30日に亡くなりました、享年73歳でした。幼少期より歌うことが大好きで将来は歌手になることを夢みてその道を一直線に邁進した人生でした。演歌の女王の称号を与えられた事を見ても演歌界におけるその存在の大きさが窺えます。そんな八代亜紀さんを蝕んだ病気とは一体なんの病気だったのか。今回はそんな八代亜紀さんを葬り去った病気について調査してみました。
八代亜紀の病気とは
八代亜紀さんが亡くなった原因は「膠原病」であると言われています。
膠原病とは一体どんな病気なんでしょうか、調べてみると概ね次のような病気です。
身体の中には誰でも免疫というものがあります。
そして身体の外部からウイルスなどが入ってくるとそれを「敵」として認識します。
そうすると身体の中にある免疫が外部から侵入したウイルスを攻撃して退治しようとします。
その時にその敵と自分の中に元々あった菌の区別が付かなくなって自分自身をも攻撃してしまいます。
これを総称して「膠原病」と呼びます。
もちろん、私は医者でありませんし、医学の知識も全く無いことを公表しておきます。
それでも昭和の大歌手である八代亜紀さん病気について少しでも知りたい思いでこの記事を作成しました。
八代亜紀さんは2023年9月に自身が膠原病であることを公表しました。
それ以来八代亜紀さんは芸能活動をやりながらこの膠原病と必死で闘ってきました。
八代亜紀さんの場合はこの膠原病により「間質性肺炎」が進んでしまい病気を公表してわずか4ヶ月ほどで亡くなってしまいました。
外部から侵入した菌との区別が付かなくなってしまう原因は遺伝なども考えられるそうですが、現代の医学を持ってしてもその詳しい原因はわからないそうです。
八代亜紀病気の発症
八代亜紀さんは2023年8月に誕生日前日のコンサートが終った日に楽屋にもどった八代亜紀さんは自分の手に赤い発疹が出ていたことを廻りの関係者に話していたのです。
それより以前から乾いた咳が出ていましたが、本人はあまり気にすることもなく少し喉がいがらっぽいだけだ、と思っていたのです。
もちろん生誕コンサートも難なくこなしていました。
しかし、この手に発疹が出るというのは重大な病気のサインだったことはこの時八代亜紀さんにとって、神ならぬ身の知る由もありませんでした。
でも少し気になった八代亜紀さんは医師に相談してみました。
この時、医師により「膠原病」かも知れないと告げられたのです。
もちろん八代亜紀さんはこの時「膠原病」がどのような病であるのか全く知りませんでした。
医師の説明を受けて始めてこの病気の重大さを認識したのです。
膠原病は自分を守るはずの免疫細胞が異常を来たし、自分の組織を攻撃して炎症を引き起こす、命にかかわる病だったのです。
膠原病を告げられた八代亜紀さんはその時にはあまりひどい自覚症状もなく、治療さえすれば程なく回復するだろう、と思っていたのです。
だがこの時八代亜紀さんの肺は膠原病により攻撃を受けていたのです。
八代亜紀の病気治療経緯
八代亜紀さんは医師の勧めにより9月10日から3ヶ月の予定で入院をすることになりました。
そして、2日後に八代亜紀さんは芸能活動の休業を発表し、治療に専念することになったのです。
入院して本格的に治療を開始した八代亜紀さんはその後2週間を経過した頃には治療の甲斐あってすっかりと元気を取り戻したように見えたのです。
このまま病の数値が安定してくれれば退院も近いのではと思われるほどでした。
ところがその後の検査によると相変わらず八代亜紀さんの自己免疫は活発に活動を続けて八代亜紀さんの肺への攻撃が止みませんでした。
そのために八代亜紀さんの全身に酸素が十分に行き渡らないという状態が続いたのです。
そして1週間が経過した後に様態が急激に悪化の一途をたどって行ったのでした。
一時は回復に向かったかに見えた八代亜紀さんの体調は急激に悪化して医師も驚くほどの状態になってしまったのです。
この時医師は最後の望みとして口から直接気管にチューブを入れ外部から空気を直接肺に入れなければもはや危ない状況であることを八代亜紀さんに告げたのです。
八代亜紀さんもそれに同意して治療を試みることにしたのです。
八代亜紀さんにしてみればなんとか回復してもう一度舞台に立ち、おもいっきり歌いたいという思いがあったのです。
しかし努力の甲斐もなく八代亜紀さんは12月30日に最後の時を迎えます。
この時にはすでに危篤状態を知らされた多くのスタッフや仲間が病室に駆け付け八代亜紀さんはみんなに見守られながら天国へと召されて行ったのでした。
八代亜紀さん73年の生涯が静かに幕を引いたのです。
八代亜紀の付き人
八代亜紀さんの人生を語るにあたってどうしても紹介しておきたい人物がいるのです。
それは「中村たつえ」さんという方です。
中村たつえさんは八代亜紀さんの付き人となって50年以上も連れ添った方でした。
当時中村たつえさんは八代亜紀さんの大ファンの一人として頻繁にコンサート通い詰めていた人でした。
八代亜紀さんの「追っかけ」をしていた中村たつえさんは時間の許す限り八代亜紀さんのコンサートをどんな地方に行っても見学に行っていたのです。
そしてどのコンサートでも一番前の席で八代亜紀さんを食い入るように見つめていたのです。
当然それは八代亜紀さんの目に止まることになりました。
八代亜紀さんはいつも一番前の席で自分のコンサートを見てくれている中村たつえさんに感謝の気持ちを伝えるために声をかけたのです。
その時に中村たつえさんは東京から来てくれていることを知った八代亜紀さんは「東京に帰る時は私と一緒に帰りましょう」と声をかけたのです。
もちろん中村たつえさんは二つ返事で八代亜紀さんの申し出を受けました。
東京に帰る道すがら八代亜紀さんは中村たつえさんが天涯孤独であることを知ります。
そんな中村たつえさんの状況を知った八代亜紀さんは自分の付き人として中村たつえさんを迎え入れたのです。
中村たつえさんもこれには大喜びでした。
そして八代亜紀さんは付き人としてだけでなく中村たつえさんを生涯をかけて面倒を見る決心をしたのです。
八代亜紀さんは中村たつえさんに言った言葉があるのです。
それは「私は80歳を過ぎても歌っていたいなあ」と、その時中村たつえさんも「私も八代亜紀さんの「舟歌」が80歳を過ぎても聞きたいから頑張ります」と伝えたのです。
八代亜紀さんは入院してから104日目の12月23日にマネージャーに対して「ばあさんのことをくれぐれもよろしくお願いします、何があっても見放さないでね」と伝えていたのです。
中村たつえさんの詳しい年齢などは公表されていませんが八代亜紀さんと同年代かもしくは少し上だとおもわれます。
中村たつえさんは現在、八代亜紀さんとの思いでを胸に静かに人生を過ごしておられることでしょう。
八代亜紀病気のまとめ
八代亜紀さんは73歳でその生涯の幕を閉じられました。
八代亜紀さんの病気は膠原病という、難病で現代の医学を以てしても完治が難しいとされている病気です。
直接の死因は「間質性肺炎」とい病でした、間質性肺炎というのは肺の組織が硬くなってしまい、酸素を取り込みにくくなってしまうことで、肺の細胞間の間質と呼ばれる壁の部分に炎症がおきて肺が縮むことで呼吸困難を引き起こしてしまう病気です。
八代亜紀さんが罹患した間質性肺炎の原因は様々でじん肺、薬剤、放射線、カビや鳥から来るアレルギー反応、そして膠原病などが挙げられます。
また原因がわからない場合もあるのが実態なのです。
間質性肺炎の末期症状としては呼吸困難や、乾性咳嗽(かんせいがいそう)などがあり、これらが原因で心臓にも負担がかかり心不全などを起こす場合もあります。
間質性肺炎で亡くなった芸能人として挙げられるのが美空ひばりさんや上岡龍太郎さんなどもこの間質性肺炎で亡くなられました。
八代亜紀さんも間質性肺炎でしたが、なぜこのような病気になったのかは詳しい原因はわかりません。
忙しいコンサートをこなしていたとはいえ、生活態度が不摂生だった訳でもありません。
これは誰でも起こりうる出来事なのです。
八代亜紀さんはこの世を去りましたが、彼女の残した軌跡はあまりにも大きく我々日本人の心から永遠に消えることはないでしょう。
最後までお付き合い頂きまことにありがとうございました。
八代亜紀のプロフィール
- 生年月日 1950年(昭和25年)8月29日(火)73歳
- 本名 橋本明代(はしもとあきよ)
- 出身地 熊本県八代郡金剛村(現・八代市)
- 職業 歌手
- 所属事務所 株式会社「ミリオン企画」
- 公式サイト 八代亜紀オフィシャルサイト
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