アイドル文化の昭和と令和の違い!10代がどっぷりハマる「昭和歌謡」の底知れぬ魅力

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昭和の歌

こんにちは!音楽ライターの昭和太郎です。私は普段80~90年代を中心としたポップスや歌謡曲の歌い方などを紐解く活動をしているのですが、今TikTokやYouTubeをきっかけに、10代の間で「昭和のアイドル」や「昭和歌謡」への熱狂的なブームが巻き起こっているんですよね。平成時代以降の若者にとっては、どういうわけか圧倒的な衝撃と新鮮さを感じているようですね。これは昭和生れの私たちにとっては嬉しい出来事ですよね。今回はそんな若者たちにどうして昭和のアイドルがにんきなのか、令和と昭和の決定的な違いを比較して、自称音楽評論家の私が昭和のアイドルたちの魅力を探ってみたいと思います。

昭和と令和で何が変わった?アイドルの定義

現代の令和におけるアイドルといえば、大人数のグループが主流となっていますよね、昭和のようにグループといっても2~3人程度ではなく10人以上の大人数なんですね。

したがってこの最大の違いは何処にあるのかと言えば、昭和のアイドルは一人の表現者としての実力が等しく備わっていたのです。

SNSの発達した今のアイドルが親近感、等身大といった魅力を最大の武器としているのですが、昭和のアイドルはテレビのブラウン管の向こうでしかあうことが出来ないのがほとんどでした。

夜空の星のように手の届かない、まさに雲の上の存在だったのです。

だから、憧れの感情も大きく膨らんだものだったのです。

それに比べ、今の時代のアイドルはそのキャラクター性やファンとの繋がりを重視される傾向にありますよね、

翻って昭和のアイドルは何よりも大人の鑑賞に堪えうる高い歌唱力や輝くスター性が重視されたのです。

10代のアイドル歌手でも当時の高名な作詞家や作曲家が手掛けた最高の曲を歌いこなす実力がもとめられたんですね。

そして自らの世界観を堂々と表現する実力が備わっていなければなりませんでした。

ビジュアルは可愛くまたプロとしての完成度も最高であったのです。

これらのことが今の10代にとって最高に「新鮮で可愛いくてカッコイイ」と写るのです。

 

生歌と生バンド!10代を魅了する本物の歌唱力

令和の若者達が昭和のアイドルのパフォーマンスを見て一番衝撃を受けるのがその素晴らしすぎる「生々しさ」そして「クオリティ」の高さに驚くようです。

とはいえ、決して令和が劣っているという訳ではありません。

今の時代の音楽番組ではグループアイドルが主流のため、結構激しいダンスが欠かせないパフォーマンスとなっていますよね。

そのため、被せや口パクが珍しくなくなっているのです。

そのてん昭和のアイドル達は完全な一発勝負が当たり前だったのです。

音楽を補正する技術もまだあまり確立されていませんでした。

そして当時の音楽番組ではアイドルの背後にはプロのオーケストラや有名生バンドがズラリと控えていたのです。

そんな大迫力の生演奏を背にうけて10代の若い少女アイドルでもなんら気後れすることなくマイク1本で堂々と歌い上げる姿は令和の若者にはまさに英雄そのものに写るんですね。

今では自転車に乗りながらでも気楽にイヤホンで音楽を楽しむことができますよね。

だからこそ当時の魂の籠もった歌声や、生演奏がうねる迫力のサウンドの凄みが配信やユーチューブを通じて10代の若者にズシンと響いてくるのです。

昭和のアイドル達はまさにごまかしのきかない時代の音楽だからこそ、本物の迫力として伝わってくるのです。

これが令和の若者の心を捉えて離さない、抜け出せない最大の理由となっているのです。

 

ネットがない時代の神秘性!届かないからエモい

ここから ⬇

今の時代のアイドルシーンを規定しているのは、SNSなどの「常時接続」と「徹底的な可視化」なのです。

常日頃のつぶやきやライブ配信を通じて、ファンはリアルタイムでアイドル達の生活情報を追体験出来るのです。

翻って昭和のアイドル達はどうであったか。

SNSのない当時のアイドル達はその神秘性が圧倒的だったのです。

インターネットもスマートフォンもなかったあの時代アイドルに触れ合えるのはテレビに出る数十分間、また雑誌のグラビアやレコードのジャケット写真などに限定されていたのです。

後はファンがアイドルに会えるのはその想像の中にしかありませんでした。

それはファンにとっての最高のスパイスとなっていたのです。

情報の断片を思い、つなぎ合わせまだ見ぬ実像へと思いを馳せていたのでした。

そういった渇望感、そのロマンティシズムがデジタルネイティブの今の10代が「エモい」と評する感覚の正体なんですね。

すべてが可視化された今の時代、次々と消費される令和エンターテインメントにおいて、昭和のアイドル達は容易にふれることの出来ない「気高さ」や「プライベートの不透明さ」が令和の若者たちにとってある意味新鮮なカウンターとして機能しているのです。

昭和の若者にとって当時のアイドルは手の届かない遙か彼方の星でした。

だからこそその一瞬の輝きに命を懸けて熱狂したのです。

この距離感から生じる絶対的なカリスマ性は効率化された現在のマーケティングでは決して再現出来ないのです。

これが昭和カルチャーの最大の魅力なんですね。

 

令和のポップスにはない?昭和歌謡の深い歌詞

昭和のアイドルポップを真に偉大にさせているのは当時の日本の音楽界のトップクラスの、言わば最高峰の知性が結集してアイドルをさらなる高みへと昇華させていたと言えるでしょう。

現代の音楽が等しく共感を誘う日常的な言葉やSNSでの拡散を意識したキャッチーな言葉で構築されていることが多いと思いますよね。

そこへ行くと昭和歌謡の歌詞は何というか、一遍の短編小説や映画のシーンを切り取ったような極めて文学的でメリハリの効いた構造を持っているのです。

阿久悠、松本隆、売野雅勇といった、今となっては伝説となった作詞家たちは、10代のアイドルに対してあえて等身大ではない「背伸びした大人の世界」を歌わしたのです。

そこにこそ今の日本の若者が必要としている、複雑に揺れ動く恋心、救いようのない孤独、そして都会の情景が選び抜かれたような日本語により描写されていたのですね。

特に忘れてはならないのがその歌詞のもつ「余白の美学」なんですね。

すべて説明したようなものではなく、聴き手の想像力にも委ねる余白があったのです。

そこに歌の主人公の切なさのようなものが一段と膨らんで行ったのです。

まだ人生の何たるかをしらない10代の若いアイドルがそういった深い言葉に自信の声に乗せて歌うことで未完成ゆえの危うさや妖艶さが同居するという奇跡の表現力が発揮されたのでした。

ファストに消費される音楽が満ち溢れる令和の今、聴くたびに新しい解釈や情景が浮かんで来る昭和の歌詞の世界。

そこには記号化されていない人間味溢れるドラマの深さがあったのです。

それは言葉というものの感性を研ぎ澄ませたい現在の若者たちの心を、今なお激しく揺さぶっているのです。

まとめ:時代を超えて響く昭和アイドルの輝き

いかがでしたか?

お判り頂けたと思いますが、昭和のアイドル文化が持つ本物の音楽クオリティと相反する神秘的なカリスマ性が単なる懐古趣味なノスタルジーの枠を超越して令和の若者に強烈なインパクトをいまだに与え続けているのです。

すべてが可視化され、記号化された現代においてこそ昭和の一発勝負の生歌に命を注ぎ込みそして文学的な歌詞を10代の少女が一人で表現しきったのです。

そんな彼女達は時代を超越した普遍的な「美」として輝きを放ち続けているのです。

ネットの海で昭和歌謡の底知れぬ魅力に出会ってしまった令和の10代の若者の熱狂は流行に囚われることのない本物の表現に対する真っ当なリスペクトの証しでもあるのです。

昭和アイドル黄金期の輝きはこれからの新しい若者の感性を刺激し、日本のポップス史の頂点として語り継がれて行くことは間違いありません。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

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